石ころ

子どもの信仰(ルカ18章)



 裁きを面倒くさがる不正な裁判官に、あきらめずに訴え続けるやもめはまるで子どものようである。
子どもはしつこく簡単にはあきらめない。それは彼らがふた心を持たず、心が貧しく他の方法を持たないからなのだ。

あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」(ルカ18:8)

主が来られたとき、地上にある信仰はこの子どもの信仰である。

 取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。」(ルカ18:13)

主は、「あわれんでください」との祈りにあわれみをたまわるお方であり、病人をいやす医者として来てくださったのだ。

だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。(ルカ18:14)

彼らは、謙って高い所から下りたのではなく、元から低い所に居る者なので、その自分自身を知っている者である。このことは自分自身に重なり私にはよくわかる。
人は高い所に上って行く者であるが、その力も知恵も持たないから、唯一の望みである主に叫び続けるのである。

主はもっとも高い天から、罪人の処刑される十字架に来てくださった。価値のない幼子の叫びに来て、知恵となり、力となってくださった。このことこそ正しい裁きなのである。

子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。(ルカ18:16)


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