題「だれの銘ですか」
「カイザルに税金を納めることは正しいか」とユダヤの指導者はイエス様に罠を仕掛ける。(ルカ20:22)人は自分の知恵によってイエス様を計ろうとする。それは姦淫の女(ヨハネ8:5)を引っ張ってきて「さあ、どうする」とイエス様に裁きを迫って試した時と同じ。
その時、イエス様はうつむいて地面に何かを書いて居られた。イエス様は、彼らをやりこめる言葉を持っては居られなかった。イエス様は彼らを救うために来られたのだから、それが神様の思い。人の思いは自分のプライドを守るために、イエス・キリストを十字架で殺すこと。
イエス様は「カイザルのものはカイザルに返しなさい。神のものは神に返しなさい」と、コインを見せて教えられた。私たちには誰の銘が刻まれているのか。クリスチャンには、誰でも分かる「イエス」の名が刻まれている。
私たちには、クリスチャンマニュアルが在るわけではない。自分に刻まれている名、イエス様に栄光を返す者である。カエサルにどれだけ返したかが問題ではなく、神のものを神に返しているかどうかが問題なのである。
神戸からお客様が来られて、主にある良いお交わりが出来たことが嬉しい日曜日だった。今日もほかほかした気持ちで、沈む真っ赤な夕日を見て、姉妹の車で楽しくおしゃべりをさせて頂いて帰った。本当に主に感謝。
『家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石となった。』聖書
コメント一覧
石ころ
meek
最新の画像もっと見る
最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事