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石ころ

夕食

 旬に冷凍しておいた剥き栗を熱湯に通し、冷凍特有の臭いを取ってざるに上げておく、人参は銀杏に切り、油揚げも熱湯に通して細く切る。そうして主役の舞茸を適当に切り、洗い上げた米に出汁を注ぎ入れて水加減。味を付けるのは炊く直前、ちょっとそのまま米に出汁を吸わせておこう。これで準備OK。

この出汁は丁寧に自家製の干し椎茸と、昆布と削り節から取ったもの。いつもこのように出汁を取るわけではないけれど、化学調味料では絶対出せないコクがあって、味の違いはすぐに分かってしまうからできるだけ一手間かけるようにしている。
しかし、削り節が高くなったなぁ・・以前は特売もあったのに最近はまったく無くなってしまった。わざわざ出汁を取る人が減ったことも関係があるのかもしれない・・。

豚ヒレ肉をちょっと厚めに切ってトンカツの準備。この肉は特売で安く買えた。国産だということで安心して買ったのだけれど、最終的にはお店を信じるほかなし。
ちょっと肉を延ばして塩、胡椒、小麦粉をはたいて、溶き卵、油をあまり吸わないと言うパン粉。量がしれているので短時間でできた。

 しかし、このように書いていくといともスムーズに仕事をしているかのようだけれど、実際は歳と共に、慣れた仕事なのにやたら時間が掛かるようになってしまって、その度に、そんな自分の疎さにイライラしてしまう。

でも年を取ったからだと、現実に起こっていることを認めなければならない。手際が悪くなって仕事が遅くなってきたこと、力が無くて布巾をキュッと絞ることがちょっと大変だったり、瓶のふたを開けるのにわざわざゴム手が必要だったり、目の端に入らなくてコップをひっくり返してしまったり、落ちると分かっても即座に手が出なくてみすみす割ってしまったり、動作が鈍くなって本当につまらない失敗をする。そしてその後始末にまた時間がとられる。

 個人差は大きいと思うけれど、自分自身の老化は否応なくわかる。解決はあっさり現実を受け入れて、だからどうしようかと対処法を考え出すしかない。
どんな対処法を考えても、今までより余計に時間が必要になったことは事実。だから、私は若い頃よりも時間が無くなってきた。だから、ついつい焦ってしまう。もっと落ち着いて、やりたいことをするための時間がほしい。このことについて祈ることが、今いよいよ必要なのだろうなぁ・・。

 夕食は秋色の吹き寄せご飯。トンカツは息子だけにして、老人は目刺しと、もやしいため。大根と小芋、人参、榎茸のおみそ汁にする。どうも重くて、トンカツは食べる気がしない・・念のために主人の意向を聞いたみたが同じだった。

栗はほんのりと甘くて、餅米を混ぜたご飯はとても美味しかった。舞茸はほんとうに良い味が出るなんて話し、息子はまだ仕事をしている頃だろうとちょっと同情しつつ・・外はもう真っ暗。
日中はとても暖かかったけれど、夜には冷えてくるだろうと風邪気味の息子を思い・・それでも今日も穏やかに暮れたことに、心からイエスさまに感謝。

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コメント一覧

石ころ
コメント感謝です
ものすごく非凡なことが、さりげなく平凡な日々の中で起こる。キリスト者の生活って、本当に感謝です。

田舎のご両親を思いだしていただいてなによりです。
「振り込まなくても良いよ」とひとこと!
エシュコル
素朴で平凡
な感じで良いですね。

田舎の両親を思い出しますよ、なぜか。
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