石ころ

誇り(創世記34章)

 

レアがヤコブに産んだ娘ディナは、その土地の娘たちを訪ねようと出かけて行った。
すると、その土地の族長であるヒビ人ハモルの子シェケムが彼女を見て、これを捕らえ、これと寝て辱めた。
彼はヤコブの娘ディナに心を奪われ、この若い娘を愛し、彼女に優しく語りかけた。
シェケムは父のハモルに言った。「この娘を私の妻にしてください。」(1~4)

 

シェケムはディナを「捕らえ」と「辱めた」と書いてあり、ディナの意志にはよらぬ暴力である。
自分の好みのままにディナを汚して、神が決められた結婚や愛という言葉を道具とし、正しいことのように振舞のは卑劣なことである。

 

族長という権威をかざして相手を侮り、屈服させる行為は愛とは真逆にあるもので、それは傲慢な振舞いである。結婚もディナを自分のものにする手段に過ぎず、ここに彼女に対する尊敬もその家族に対する敬意も存在しない。

 

 シェケムの父ハモルは、ヤコブと話し合うためにやって来た。
ハモルは彼らに語りかけた。「私の息子シェケムは、心からあなたがたの娘さんを恋い慕っています。どうか娘さんを息子の嫁にしてください。
私たちは互いに姻戚関係を結びましょう。あなたがたの娘さんを私たちに下さり、私たちの娘をあなたがたが迎えてください。(6.8~9)

 

まず謝罪から始まるべきことである。償いもないまま一方的な「恋い慕っている」ことを理由に、姻戚関係を求めるなどとは失礼千万なのである。
問題をすり替えて威儀を正したかのように装い、平和や繁栄をちらつかせながら悪行を善行に見せている。

 

そうして私たちとともに住んでください。この土地は、あなたがたの前に広がっています。ここに住み、自由に行き来し、ここに土地を得てください。」
シェケムは彼女の父や兄弟たちに言った。「皆さんのご好意を得られるのなら、おっしゃる物を何でも差し上げます。
どんなに高い花嫁料や贈り物であっても、私にお求めください。おっしゃるとおりに差し上げます。ですから、どうか、あの人を私の妻に下さい。」(10~12)

 

彼らが土地を差し出すならそれは花嫁料ではなく、謝罪のための慰謝料でなければならない。
彼らは神のようにイスラエルに将来を示して、一つの民族になろうと誘ったのだ。それはイスラエル民族に対する餌であり罠である。

 

ヤコブの息子たちは、シェケムが自分たちの妹ディナを汚したので、シェケムとその父ハモルをだまそうとして、
答えた。「割礼を受けていない者に私たちの妹をやるような、そんなことは、私たちにはできません。それは、私たちにとって恥辱となることですから。
ただし、次の条件でなら同意しましょう。もし、あなたがたの男たちがみな、割礼を受けて、私たちと同じようになるなら、
私たちの娘たちをあなたがたに嫁がせ、あなたがたの娘たちを妻に迎えましょう。そうして私たちはともに住み、一つの民となりましょう。(13~16)

 

ヤコブの息子たちは、彼らの罠には罠を仕掛けた。ハモルとその子シェケムの言葉には罠があり、甘い条件で呼び込んだイスラエルの民から、すべてを奪おうとしていたからである。
それは、ハモルとその子シェケムが、自分の民に語った言葉によって明らかである。

 

次の条件でなら、あの人たちは、私たちとともに住んで一つの民となることに同意すると言うのだ。それは、彼らが割礼を受けているように、私たちのすべての男たちが割礼を受けることだ。
そうすれば、彼らの群れや財産、それにすべての彼らの家畜も、私たちのものになるではないか。さあ、彼らに同意しよう。そうすれば、彼らは私たちとともに住むことになる。

 

ディナにしたことは彼らの本性を現している。すべては神の民を軽んじてのことである。悪行に愛が宿ることなどあり得ないのだ。

 

三日目になって、彼らの傷が痛んでいるとき、ヤコブの二人の息子、ディナの兄シメオンとレビが、それぞれ剣を取って難なくその町を襲い、すべての男たちを殺した。
彼らはハモルとその子シェケムを剣の刃で殺し、シェケムの家からディナを連れ出した。(22~23.25~26)

 

ハモルとその子シェケムには、ヤコブの息子たちの条件を拒む自由があった。そうすれば、罠に嵌って打たれることはなかったのだ。族長の強欲な計略によって男たちは殺されたのである。
それも、シメオンとレビのただ二人によって。

 

ヤコブはシメオンとレビに言った。「あなたがたは私に困ったことをして、私をこの地の住民カナン人とペリジ人に憎まれるようにしてしまった。私は数では劣っている。彼らが一緒に集まって私を攻め、私を打つなら、私も家の者も根絶やしにされてしまうだろう。」
彼らは言った。「私たちの妹が遊女のように扱われてもよいのですか。」(30~31)

 

息子たちの言い分が正しい。ディナを売り渡すことによって、イスラエルに平和と繁栄をもたらせることなどあり得ないからである。
神の民はその誇りによって守られ、繁栄し平和を得る者である。

 

神はヤコブに仰せられた。「立って、ベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウから逃れたとき、あなたに現れた神のために祭壇を築きなさい。」(35:1)

 

神はヤコブたちを再びベテルに逃される。すべては神の守りに在ることを思い出させるためだ。神こそイスラエルの避け所なのである。


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