石ころ

福音の確信は携挙の望み(Ⅰテサロニケ1章)

 

私たちの福音は、ことばだけでなく、力と聖霊と強い確信を伴って、あなたがたの間に届いたからです。あなたがたのところで、私たちがあなたがたのためにどのように行動していたかは、あなたがたが知っているとおりです。(5)

 

福音が言葉だけなら、世にあふれる宗教の方が分かり易く、とうていそれらに太刀打ちできない。
神は霊なので、神の言葉である聖書は人の霊に語りかける。死んでいた霊が神によって開かれて新しく生まれ変わることにより、福音の中身を一つ一つ生きて、キリストの恵みを経験して行くのである。

 

それゆえ福音を届ける者は、神の力ある導きと、聖霊により語る者と聴く者への霊の備えと、みことばの確信によらなければならない。

 

力は神のご計画のうちにある。聖霊は語る者にみことばを解き明かして備え、聞く者の霊の耳を開いて心を整えてくださり、みことばはキリストの十字架による赦しと、もう責められることのない神との平和を知らせ、永遠の望みを教える。

 

あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちに、そして主に倣う者になりました。(6)

 

教会は多くの苦難の中で、今も生けるキリストを、聖霊の導くみことばに従順することによって経験して行く。その時、聖霊によって注がれる喜びは深い感謝となり、主をほめたたえる信仰と成長して行くのだ。

 

テサロニケの教会はパウロたちのその生き方を見て、その信仰に倣ったのである。身近にある模範が信仰の成長を左右する。


今、私たちには聖書があり、一人ひとりがみことばに親しみ、身近に置いてそれを生きるなら、主と使徒たちに似たものとされて神のお気に入りの教会となろう。

 

その結果、あなたがたは、マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範になったのです。
主のことばがあなたがたのところから出て、マケドニアとアカイアに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰が、あらゆる場所に伝わっています。そのため、私たちは何も言う必要がありません。(7~8)

 

みことばに信頼する者は、何処に行ってもみことばによって生きる。その中で主を告げ知らせることになり、その真実な模範は、ことさらに人間的な計画や手段を講じなくても、福音のうちにある神の力に満ちて、世界に成長し広がって行くものである。

 

あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、
御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを、知らせているのです。この御子こそ、神が死者の中からよみがえらせた方、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスです。(9~10)

 

信仰の確信は、やがて消えて行く世の成功ではなく、天にある永遠の望みとなり、みことばの約束である携挙を待ち望む祈りとなる。
キリスト者には相応しくない世から永遠に救い出して、御国に携え挙げて下さる約束である。携挙を信仰を持って受け入れることこそ、苦難の中でも揺るぐことの平安となり、絶えざる喜びとなり、主を伝える力を維持させるものである。

携挙の確信が無いことで、成長のために備えられた試練によって挫折し、世に引き回されて福音から彷徨い出て行くからである。

 

私は目標がはっきりしないような走り方はしません。空を打つような拳闘もしません。(Ⅰコリント9:26)


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