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石ころ

祈られて

 今日はすっかり体調も良くなって本当に感謝。祈っていただけることはクリスチャンの特権!先日、ブログに夢のことを書いてから、あの切ない夢を全く見なくなってしまった。「・・しまった。」というところに、ちょっと私の微妙なところがあるのだけれど、もっと今をポジティブに生きるようにという励ましだと思うことにした。
 

 息子に「お母さんは年寄りだから、罪に対して楽なんだよ。」と言われたことがある。彼の言わんとすることはわかるけれど、それは罪のごく一部に対してであり、誰であっても、罪は身近に絶えず待ちかまえている。罪人は死ぬまで罪人だから、罪から逃れることはできない。

肉の思いから言葉をコントロールできない事もある。オブラートをかぶせてやんわりと語っても、含まれている毒を主は知っておられるだろう・・。
自分を守ろうとする計算の数々も、裁き続ける心も、怠け癖ややっかいなことから逃げようとする思い。どれもこれも真っ正面から立ち向かったって勝てる望みは全くない。自分を少しの間偽ることはできても・・。

ただ主の守りの中で、「平安」を目印として今日を生きよう。間違ったときには、ざわざわと鳴る聖霊の警告を無視しないようにして。


裏山はすっかり秋色。静かな小春日の午後に、彩り豊かに木の葉はきらきらと風に揺れる。
主は、どれほどの豊かさを備えてくださっているのだろう・・
私は、どれほど知っているのだろう・・


御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。(ローマ8:26)

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