石ころ

パウロの完全 (Ⅰコリント2章)




兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。
なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。
そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。
わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。
それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。(Ⅰコリント2:1~5)


パウロは、彼が持っていたこの世のステータスを、一切宣教に用いることはしなかった。彼は上から備えられる「霊」によってのみ働くことを選んでいたからである。
だから、主は彼に多くの賜物を与えて圧倒的な働きを委ねられた。

人は善悪の知識の木の実を食べた血筋にあって、善の中にも潜む汚れに気付かない。神様の聖さの基準から切り離されてしまったからである。
だから、人はそれぞれ自分勝手に良いと思う事を選び取り、自分の知恵によって効率的な働きをしようとする。それが宣教であっても・・。

 しかし、パウロはそうはしなかったのだ。彼が聖霊による知恵によって働くことが出来たのは、主に信頼していたからであった。
彼がイエス様によって倒され新しくされたとき、それまで持っていた世で生きるための素晴らしいステータスを、塵芥として捨てて惜しまなかった。このことは彼の聖さである。
彼は人の評価ではなく、主のみこころを生きることを喜んでいたのだ。

そして、わたしたちがこれについて語るのも、人の知恵に教えられた言葉によるのではなく、“霊”に教えられた言葉によっています。つまり、霊的なものによって霊的なことを説明するのです。
自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです。
霊の人は一切を判断しますが、その人自身はだれからも判断されたりしません。(Ⅰコリント
2:13~15)

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