石ころ

冬晴れに




 ゆっくりデボーションの後で、冬晴れの真っ青な空の下に洗濯物を干し、時々吹きつける風に弄ばれながら玄関回りの落ち葉を掃き集めた。
コーヒーをゆっくり飲んで、先日来どうにも気になって仕方のない台所の大掃除にやっと腰を上げた。
勝手口の玉暖簾を洗うに「今日しなければ何時するの」ということで、手をつけてみると以外にあっさりと奇麗になったので、葉の落ちた紅葉の枝に引っかけて干した。

蜘蛛の巣が天井の角にも張っていて、埃も払わないと・・、息子の踏み台を二階から注意深く下ろしてきて、換気扇を取り外す。気を付けて・・怪我をしても助けはないのだからと、最近はこういうときは十分気を付けている。
しかし以前息子が言っていなぁ・・、怪我はこういう時ではなくてもっと何でもないときにするものだと・・かもね。

外した換気扇に洗剤を吹き付けて置き、シャッターにも洗剤を吹き付けて油落として、レンジ周りに張ってあるステンレスを磨いた。
プロ仕様とかいう洗剤を買ってあったので、今回は簡単に落ちるだろうと高をくくっていたのだが、これがとんだ食わせ物で手間取ってしまった。
臭いも強くて、これなら昔から使って居た洗剤の方がよほど効果があった。かといって今更混ぜることも出来ず、安易に飛びついた自分の愚かさが腹立たしかった。

ガスレンジで、極薄い重曹と食器洗剤でアッという間にピカピカになることを知って居たのに・・。ちょっとした好奇心でもあったのだけれど・・、いや、一番危ないのがこの好奇心。まあ、これも授業料とあきらめよう。しかしこの洗剤どうしよう・・見たくもないけれど捨ても成らず、仕舞い込むと邪魔になる。


 掃除が終わった午後になって来客があった。彼女のお宅に誘われた時、お台所に通して頂いたので私も台所にお迎えした。
主婦が台所に通すのは気を許している証拠である。だから、台所に通されたときが一番落ち着くのだ。
掃除を済ませた直後にお迎えすることができて嬉しかった。主のタイミングに感謝。

彼女はお話し好き。でも彼女の話しは楽しかった。人様の噂話などではなく、昔の事や老後のこと(すでに老後だけれど・・彼女もかなり年上)私も「そう、そう・・」とおしゃべりを楽しんだ。

本が好き、それから眼鏡の話しへ・・良い読書用を作ったほうがいいですよとか・・。眼鏡も歯も同じね、良い所で作らないと結局高く付くなど・・、
主人を亡くしたときのこと・・彼女は若い頃に亡くしておられる寡婦先輩、「自由」と「淋しさ」は一対だとか・・。

秋の日の傾くのは早くて、外の薄暗い様子に気付いて慌てて腰をあげられた。
「玄関先で失礼するつもりだったのに・・」と言われた時、「どうせ一人でしょ」と誘ったのだけれどとんだ長話になってしまった。

彼女は「少しで返ってご面倒をかけます・・」と言いつつ献金を置いて行かれた。「尊い捧げものを感謝します。覚えてくださっていることが嬉しい」とお預かりした。
牧師先生が何度か尋ねてくださっていたので嬉しかったのだ。

イエス様に捧げた彼女には、それがどういう理由であっても主が必ず報いてくださることを知って居るから心から嬉しい。
何度も「ありがとう」と言いつつ、少し日が傾いて肌寒くなったなかを帰って行かれる彼女に、友達のように手を振って見送った。

はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。(マタイ10:42)

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