石ころ

「悠々自適」 2016年7月19日 




 日が射す前に、梅雨の間に伸びた庭の雑草取りをする。涼しい風があって朝はとても気持ちがいい。早々に終えて、お茶を一杯飲んでから何時ものように座った。
主との御交わり。聖書を開いてゆっくり思いを巡らせつつ、心に響いた箇所を日記にメモして味わう。平和な時間を心から感謝。

ネットでメッセージを聴いて新しく主を知ることは喜び。知って居たことの確認ができるのも嬉しいこと。
「う~ん・・そうかな?」と思う時もあるけれど、それはそれで、聖書を読み進む内にはっきりと知ることになるから、後のお楽しみである。

 お昼、ズボンを履き替えて居る時左膝に激痛が走った。何でもないことなのに・・、変な格好のまま身動きが取れなくなってしまった。痛みを堪えつつどうにか側のソファに掛けることが出来て、「イエスさま。癒してください。」と祈り、膝に手を当てて「イエスさまの御名によって癒されなさい。元に戻りなさい。」と命じた。

少し静かにして様子を見ようと思ったが、「癒されたペテロのしゅうとめは、直ぐにイエスをもてなした」聖書を思い出し立つとちゃんと立てた。
私はもうあまり驚かない。あちらこちらがガタガタしているのは毎度のことだから・・。でも、みこころのままに癒してくださる方を知って居るから悩みとはならない。

 陽が傾いて来た頃、収穫の終わったキュウリやインゲンのプランターや鉢の土を、ぶっちゃけて底石をより分け、大きなスコップで黒いポリ袋に入れ水を掛けて密封する。
これで太陽熱による病原菌の消毒が出来るのだ。土を一回で捨てるわけにも行かないので再利用のための作業。

フウフウ言いながらスコップを振り回して一汗かき、アイスクリームを食べて居るとき膝が痛かったことを思い出した。アハハ・・
したいことが出来るって事は大きな祝福で、しんどくても楽しいのだ。無農薬のキュウリやインゲンを結構食べさせてもらった。毎朝、キュウリが大きくなっているのを見るのは楽しかった。

 若い頃は好きなことなど何一つ出来なかった。このような日々がどれほど主の憐れみにあることか・・、今は好きなことばかりさせて頂いている。
私が失ってきた「時」を、主があがなってくださっていると思えて感謝は尽きない。

 両親をはやくに亡くした私は、中学を卒業すると直ぐに自分で食べて、一人で生きて行かなければならなかった。
中学卒業記念のサイン帳に、教頭先生が太々と「悠々自適」と書かれた。その字を見た時のうめきを何十年も抱え続けていた。それは叶わぬ望みだったから・・。他の物は何も望まなかった。ただそれが欲しかったのに・・。

 今賜っている「悠々自適」、60年経って叶った願い。私の悲しみを、主が知って居てくださったことの喜びを今噛みしめている。
何度か死をくぐり抜け・・いや、生されていたから生きているのだ。けれどその時私は主を知らなかった。

主は、私がどうにもならなくなって降参るすのを待っていてくださった。ずっと忍耐して待っていてくださったのだ。
昨夜は、みことばに思いを巡らせている夢を見た。目覚めて夢か現かと一瞬戸惑った・・。そう、寝ても覚めても愛してる。寝ても覚めても愛されている。

真っ青な空。かしましくミンミンゼミが鳴き出した。朝夕はヒグラシの蝉時雨。夏休みだなぁ・・。来月には孫娘たちも帰って来る。メニューを考えておかなければ・・。

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コメント一覧

ムベ
まこさんコメントありがとうございます
うわ~、お久しぶりです。
幼子の信仰は専門分野です!
それはまったくありのままで・・とても楽です。

まこ
ハレルヤ。
癒し主、慰め主を知る我々は本当に幸いですね。
悠々自適を満喫できるのも主にあって充足していればこそですね。
お元気そうで嬉しいです。
膝、直ぐに癒され良かったです。幼子の信仰で、、、
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