買い物を終えてスーパーの外に出ると、今にも土砂降りになりそうな空模様だった。行く手は夜のように暗かった。
こんな気がしたから、行こうか止めようかと迷いに迷っていたのだ・・。
荷物を満載して走りつつ主に訴えた。「どうか・・、お守りください。」祈りつつも不安な思いのわき上げる心に、一つの言葉が芽生えた。
「主に賜る分を受けるのだ。」
雨を賜れば雨を受け、晴れを賜れば晴れを受けるだけ・・。
その瞬間、なんて涼しくて心地のだろう・・、肌になんとさわやかなのだろう・・この気持ちよさになぜ気づかなかったのだろうと思った。
走るほどに道路には水が溜まっていて、前の車のとばしりが嫌でスピードを落とした。きっと雨が止んだばかりなのだろう・・空気の中にミストのようになって雨が残って居た。「雨の中に突っ込んで行くのかな・・」と思ったけれど、もうちっとも心配ではなく、ミストに洗われる心地良さを満喫して走り続けた。
家の前まで来た時息子が外で待っていた。「タオル要るか?」「いらないよ。濡れなかったから」「土砂降りだったのだよ、つい今まで・・・。本当に凄い降りだったんだよ。祈っていたんだよ」心配させてしまったこと気づいた。確かにバイクで大雨は恐いけれど・・。
買い物を片付けてから、二人で感謝のお祈りをした後で、
「今後どんなことがあるか知れないけれど、お祈りをしたらそれ以上に心配しなで落ち着いていてね。後はすべてイエスさまにお任せして・・。最悪も私たちには悪いことではないから。
私もあなたの事をイエスさまにお任せして、会社のことなどニュースで見ても心配しないことにしているから。」彼は了解してくれた。
伝える機会があって良かった。年寄りなので今後何があるかわからない。無用な心配はさせたくないのだ。まあ、「これで心配が無くなった」というわけには行かない事もわかるけれど・・。
人にとっては死は最悪であるけれど、キリスト者には永遠への目出度いゴール。それは何時かわからない。その日までにどんな経路を辿るのかもわからないけれど、その時も主に賜る分を受けよう。
女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。(イザヤ49:15)
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ムベ
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