石ころ

誰が主を導くことができたか(Ⅰコリント2章)




なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。(Ⅰコリント2:2)

人の言葉を聞くとき、知らぬ間に心はその色に染められて行く。みことばを待つ時、染みのない状態を守るためにパウロは無駄口に関わらなかった。
知るべきは十字架を通して備えられた、キリストの計画である。

御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。(Ⅰコリント2:15)

耳の後ろからの細き御声を聞き取る限り、どんな時も前進するべき道は開けて行き、すべてのことをわきまえることができる。しかし、人の評価によってわきまえることはない。
なぜなら、

いったい、「だれが主のみこころを知り、主を導くことができたか。」ところが、私たちには、キリストの心があるのです。(Ⅰコリント2:16)

信じる者の霊のうちに在るキリストによってのみ、すべてが保証されているからである。

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