2日(土)
掛かり付け医の指示によって、主人の検診に行き十二指腸潰瘍が在ることがわかった。私は潰瘍の映像を直接見て動転した。
4日(月)
朝、主人を診てくださった医院よりお電話を頂く。「連絡をしてあるので、明日医大の消化器外科へゆくように。本人でなくても良いので、今から書類を取りに来てください。」と言われ、すぐに電車に飛び乗って医院へ行き、先生にお会いして説明を受け必要な書類を受け取る。
5日(火)
主人と医大へ行く。消化器外科では「十二指腸潰瘍は悪性リンパ腫に押されているものです。以前お話しした悪性リンパ腫の生検をします。」といわれた。
狼狽していたので何も考えられず「はい」と言って帰る。
しかし、よく考えるとこれで良いとは思えず、何よりも医師が十二指腸のことについてほとんど触れられず、以前に「それは大変な大手術」と聞いていた生検をすると言われたことが不安だった。
夜も寝付けず、ウトウトとしても目が覚めると再び思い悩んでいた。ただ、孫達が帰ってくると言う嬉しい連絡があって、その準備に幾らか気が紛れることは救いだった。主の備えてくださった私の避け所だと思った。
9日(土)
息子の家族が帰ってくるのを待っているが、本当に台風が大丈夫なのだろうかと気が気ではない。
昼頃「台風は大丈夫?」と電話をすると、「もう浜松だよ。こちらは陽が出てる」と快調な返事が返ってくる。
しかし、ニュースでは心配なことばかりが伝わってきて、事実長い旅の始まりとなった。
ついに、三重県で道路封鎖。
「高速が封鎖されているので、一般道を通るからちょっと遅くなるよ」と連絡があった。「くれぐれも気をつけて走って。絶対無理をしないで・・」と伝える。
「静まりて、我の神たるを知れ」私の洗礼の時に、信仰の先輩から贈られたみことば。此処にいようと思った。
夜、「どこも封鎖されている。今夜はウロウロしないで、コンビニの駐車場に居るから安心するように」と落ち着いたようすで連絡あった。
私は、一晩中まんじりともできず・・自分の不信仰を知る時となる。
10日(日)
特別警報が発令されている中、「どの方向にも動けない。今日は三重を楽しむから・・」というような連絡有り、彼らの様子が声で伺えてちょっと落ち着く。
しかし、夕方になっても道路はなかなか解除されない。何度も、何度もインターネットで情報を見る。
やっと、「高速が開いたから、これから帰る」という嬉しい連絡が入る。私たちも急にお腹が空いてきて、お先に夕食を取ることにした。
彼らは元気に帰ってきた!いっぱい詰まった冒険談を持って・・。
後にあかりは「昨日はね、車中泊だったのでお父さんもお母さんも疲れているんだよ。私たちは寝ていたけれど、寝ていないと思うので・・。」なんて、おしゃまなことを言って、ちょっとお昼寝をしている両親をかばっていた。
嫁さんは、「眠っている間も車が激しく揺れて、子供達が起きないかと心配だったけれど、二人ともぐっすり眠っていた。」と笑って話してくれた。彼女も今は笑っているけれど、恐かったことだろう・・。
「あのような時には、落ち着いて待つのが良いから・・。」という言葉が頼もしい。夏休みの冒険は、普通では味わえない経験を家族ぐるみで味わったみたいだ。
「閉じ込められて、二度と三重はゴメンだと思うでしょう」
「いえ、いえ、なんか泊めて貰ってお世話になったって感じで、三重に親しみを覚えているよ。
コンビニには食べ物もあって、明るいし、トイレも奇麗で助かった。コンビニの駐車場に居たことは良かったと思う。」など・・楽しい話は尽きなかった。
主は、心配の後にはひとしお大きな喜びをくださった。感動は深く、小さな死から生き返えって来たような嬉しさ。
確かに嵐の中で、私たちは主にお出会いしたということだ。
11日(月)
胃カメラを受けた医院に、大腸検査キャンセルの電話をいれる。そのとき、胃カメラの生検の結果が出ていると知らされて、急遽息子の車で行く事にする。
家は嫁さんがすべて取り仕切ってくれるということで、食事の準備の心配もない。
本人でなくてもよいということで、主人は嫁さんと孫達で川に出掛けて、小魚を網で捕って楽しんだという・・良かった。
医院はものすごく混んでいて、長い間車の中で息子と話すことができた。主人の体のことなど聞いて貰った。そのとき彼が言ったひとこと、
「人に会うとき、緊張することは良いことだよ。緊張するとアドレナリンが出て、頭が冴えるから・・」
「え~、私は話すのが苦手だから、頭が真っ白になるけど・・」なんて言っていたけれど、心の中では、「そうだ、漫然と恐れているだけではいけないなぁ・・、ちゃんと集中して緊張するが大切だなぁ。」と感じていた。
先生は温かいお人柄の年配の方で、息子にも胃カメラの映像を見せてくださった、私の訴えにも辛抱強く耳を貸してくださった。そのときの先生の応対は、私が主人を守るために着けている鎧を溶かされるようだった。
結局主人の潰瘍から、癌というはっきりとした結果はでなかった。それは、悪性リンパ腫であるかもしれないと言われた。
私が「生検なしで直接抗がん剤を使って欲しいと考えて居ます」とお話しすると、「年齢から考えてもそれが良いでしょう」と言ってくださった。
主人の病を負うことのしんどさの中で、先生の一言にホッとした。
12(火)
朝、雨だったので部屋で家族写真の撮影をして、京都の旅へと出発して行った。私は主人と医大へ行く。
先日決められた入院手術というコースには、どうにも乗れなくて、もう一度医師に出会ってよく話したいと思ったからだ。
しかし、予約がないと言うことで受け付けてもらえなかった。こう言うこともあるだろうと思っていた。まずは、出来ることである血液内科に行き直近の予約を頂いた。本当は外科に行きたかったのだけれど・・駄目だった。
主人とスターバックスのコーヒーを飲んでゆっくりと帰る。主人はココアが美味しいといったので、「今度来た時も飲ませてあげるね」と約束をして笑った。それほど・・この時なぜか気持ちにはゆとりがあった。
きっと、息子や嫁さんや孫達に、楽しさと優しさをいっぱい貰ったからなのだろう・・。すべては神さまの備えてくださったこと。
帰宅すると、次男が洗濯をしてくれていた。みんなに助けられていろんなやっかい事さえも甘くなる。
しかし、すぐに医大の外科から電話があった。
「入院の日が14日と決まりました。手術は18日です。」と告げられた。
「まって、待ってください。恐くて、決心ができないでいるのです。14日に入院することはできません。」ということで、ちょっとした遣り取りがあった後、
「14日に血液内科に行く事になっています。そのときに外科にも行きましょうか、」と聞くと「来て頂く必要があれば、こちらから連絡します」ということで切れた。
その後担当の医師から電話があった。受話器を取る前から重い予感がして受話器を取ることが恐かった。
そのとき「緊張することは悪いことではない。」息子の言った言葉を思い出した。心の中で「イエスさま」と叫んで受話器を取ると言葉が自然に出て来た。
ゆっくりと話しを聞いてくださった。
「危険な手術だと聞いています。本当に恐いのです。それに、今はとっても元気で食事もよく食べるし、畑仕事もできます。歳を取っていて少し物忘れなどはあるのですが、私たちにはこのような日々がとってもとっても大切なのです。
今、手術をしてベットに寝たきりになったら、すべてが崩壊してしまうようでそのことも恐いのです。」そのようなことを丁寧に訴えていた。
こんなに人を信じて話す経験は今までなかった。コミュニケーションは苦手なのだ。書き言葉なら自分のペースで進めることができるけれど、言葉のキャッチボールをするには、私は短気ですぐに絶望したり、かんしゃくを起こして逃げ出す者だった。
でもその時、先生は時々「それは、わかります」と同意してくださる事もあって、じっくりと聞いていてくださった。
「今回の手術はキャンセルということにします。悪性リンパ腫のことは、今後は血液内科の先生とよく相談して決めて行ってください。今後、何かお役に立てることがありましたら、その時はお世話させていただきます。」
私には、驚くような優しい言葉を聞いて電話は切れた。
それまで、思い悩み眠れぬ夜を続けてきた緊張が、崩れて行くようで体も心も震えた。
主人が、感動て涙ぐみ「これで、俺は本当にイエス様がわかった。信じ切れなくて悪かった。」と主に告白した。
「あんたは、自分の肝臓が治ったことではなく、人と心が通じたことで分かったの」なんて泣き笑い・・。
病気が治ったわけでもないけれど、すべてが終わったのだと思う。
「これでもう、何があっても俺は満足や。俺はみんなに良くしてもろうて幸せや。」この主人の言葉が私の一番の幸せ。
信仰がひとつになって、なぜ十二指腸潰瘍が存在するのか・・、その問いに答えてくださった主の、良いご計画を知ることができた。
夫婦で共に主を信頼できることはとても嬉しい。
人は必ず死ぬ。それは主にあっては最高のゴールなのだ。その前に主の御名をあがめるチャンスを準備してくださったことが、とても感謝である。
信仰の戦いにずっ支えられてあったみことばは、
「あなたがたはこの、おびただしい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから」(歴代20:15)
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