石ころ

8月14日





 先日、直近で予約を頂いた血液内科へ行く。
信仰においては完結したけれど、主人の治療はすべてはこれからであった。

血液内科の先生は以前、「何か変化があったら、夜でもよいからすぐに来るように」と言われていたのに、変な流れで報告が後回しになっていた。
医学に対して私たちが協力的でないという自覚はあるし、それは申し訳ないことで、わがままとも言えることである。

最初に生検を拒否したとき、「悪化した時には緊急的に、生検なしで抗がん剤を使う」とも言ってくださっていた。
なのに、一度は頭越しに外科で手術の約束をしてしまったことも、きっと不快に思っておられるだろう・・と想像できたので、待ち時間が長いことよりも、診察が迫ってくる方が恐くもあった。
ただ、なぜか主人があっけらかんとしていたので、私も落ち着くことができたけれど・・。

 先生は、ルールとしては生検が欠かせないと再び話された。私はどうなることかと、心の中でひたすらイエス様を呼んでいた。
結局、十二指腸の検査をして、悪性リンパ腫であることが証明されたら、すぐに抗がん剤を使うと言ってくださり、主人の顔をのぞき込んで「抗がん剤が効くと消えることもあり、死にませんよ。」と言ってくださった。

主が取りなしてくださったと心から感謝して、診察室から出たとき緊張が解けて倒れそうだった。
「死にません」その言葉は、人から聞いてもそれは嬉しい。
私だって少しは調べて、悪性リンパ腫には抗がん剤が効くことを知って居る。だから悪化したら使うといわれたことは、大きなよりどころでもあった。

「勝手なことばかり言って申し訳ありません。」と謝った時、「外科でも、嫌やと言う者を切れませんから」と言われた。
後でこの言葉を思い出して、やはり自分の命のことは自分で判断しても良いのではないか、嫌なことははっきりと嫌だと伝えても良いのでは・・と思った。
そうすれば、誰をも恨まず後悔もないだろう。究極の自己責任ではあるけれど・・。

しかし、キリスト者の自己責任という重荷は、イエス様が負っていてくださる。だから私たちの荷は軽い。命に関しても不動の望みがあるからこそ、勇気を持って生きることができるのだから。


 家に帰って、ほっと・・話が途切れたとき、遠くの方でツクツクボウシが鳴いていた。
ああ、お盆だった・・季節が変わったのだ。そのことに気付くと、扇風機の風も心なしか涼しく感じられた。
そうして、庭の高砂百合が何本かつぼみをつけていることにも始めて気付いた。

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