天地の創造主なる神さまがご自身を語ってくださる。それは、ヨブに試練がなければ無かったことだろう。たとえ叱責のようであっても、神さまがひとりの人のために多くの言葉をもって来てくださる。これほどの光栄はない。
人の一番の悲劇は無視されることである。神さまの沈黙は恐ろしい。家族の関係で一番の悲劇も無視されることである。たとえ議論であろうとも、互いの関わりに多くの時を費やすのは愛の現れであるから・・。
ヨブは腹の中のすべてをぶちまけた後だった。まあ、もともと言おうが言うまいが神さまはすべてを知っておられるのだけれど・・。
ヨブの友人も、神さまの憐れみを賜ったのだから幸いである。心に掛けていただいたのだ。
また、ヨブが彼らのために執りなしの祈りをした時から、二倍のものが返されたとある。このことはセットになっていた。
神さまがヨブの願いに応えて語ってくださった言葉は、天地創造の神としてご自身の権威について話された。
そう、私たちは自分の身に起こる一つひとつのことに対して答えを求めるけれど、神を神とすることにすべての答えはある。すべての最善なのだ。
事の初めから終わりまで知ることのない私たちに、その途上の事柄に対しての答えはあまり意味がないから・・。
ただ、神さまの権威の下に信頼して身を避け、その愛を受けるだけの者である。今はヨブの時代よりもそれは易しい。御子イエスさまによって、歴史の上に目に見える愛を現し、永遠の救いを備えてくださったことを知って居るのだから・・。
さあ、河馬を見よ。これはあなたと並べてわたしが造ったもの、牛のように草を食らう。
見よ。その力は腰にあり、その強さは腹の筋にある。
尾は杉の木のように垂れ、ももの筋はからみ合っている。
骨は青銅の管、肋骨は鉄の棒のようだ。・・・
これは神が造られた第一の獣、これを造られた方が、ご自分の剣でこれに近づく。(ヨブ記40:15~19)
第一の獣。神無き人は獣のようだ。それは非常に強いから・・、誰も自身を制御出来ない。
神を知ってからも、人の中には獣が住んで居る。すべてを完全に制御出来る人なんていない。その力は非常に強くて・・、信仰にさえも力を振るうことがある。
私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。
私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。(ローマ7:18~19)
主はそのような者に近付いてくださった。みことばの剣を持って・・。
そう、人から近付くことなど出来ないとご存じだから来てくださった。その人を御して導くみことばをもって・・。
山々は、これのために産物をもたらし、野の獣もみな、そこで戯れる。
彼ははすの下、あるいは、葦の茂みや沼に横たわる。
はすはその陰で、これをおおい、川の柳はこれを囲む。
たとい川があふれても、それはあわてない。その口にヨルダン川が注ぎ込んでも、動じない。
だれがその目をつかんでこれを捕ええようか。だれがわなにかけて、その鼻を突き通すことができようか。(ヨブ記40:20~24)
しかし、その強さがみことばに制御されるとき平安が来る。神の創造の中に憩い、安らかに住まう。
その平和を破るものは何も無い。ハレルヤ!!
今日の主人はずいぶん楽そうである。昨夜は少しだけれど鰻も食べられた。「薄紙を剥ぐように・・だね」って言っているけれど、抗がん剤を使っていても吐き気もなく、口内炎もなく、髪の毛も今のところ大丈夫。お風呂も毎日気持ちよさそうに入っている。
先ほどたこ焼きを「美味しい」って3個食べられた!お昼のさんまも美味しく食べられると良いね。
明日は医大へ行く。
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