石ころ

落とし初め




 お正月には、孫と百人一首をした。
初めは坊主めくりをしていたのだけれど、終わった後何気なく読み札を読み上げていると、さくらが「はい」と取ったことから始まった。
「ほ~う、取れるのか・・」と思ったけれど、聞けば学校でやっているとのこと・・それは良かった。
何十年もしていなかったから私は懐かしさがいっぱい。あかりもぽつぽつ取ったので三人で楽しんだ。
負けず嫌いのあかりはちょっと泣きべそだったけれど・・。

 さくらはお琴の発表会などで着物を着る機会が多くなり、嫁さんが着付けも大変と話たので、私は何十年ぶりかで着物を引っ張り出して着てみた。
腰紐を2重に回すと結びかねした!厚着をしているからだと言い訳をしてみても無残な年月だ。帯の結び方さえもあやふやになって・・かっては目を瞑っていても結べたのに。

それでも、さくらに着せて帯を文庫に結んでみると、驚いたことにちゃんと形になっていた。紺地に大輪の菊が大胆に描かれているものだからか驚くほど似合っていた。
着物という物は本当に重宝な物で、腰紐が回りかねる年寄りにも、まだ少女になったばかりのような細い身にも、着付け一つで纏うことが出来るのだから・・。

嫁さんに「着物なんて慣れ一つ・・」なんて言ったけれど、それはどんなに無理なことであるか・・と思えてきた。
彼女が関西弁を使うなら「そんな暇が何処にあるねん。」って言うだろう。全部きれいに畳んでくれたけれど、それさえも手間暇のかかることだものね。


 今日は1日曇り。それでも明日はもっと悪いというので、久しぶりに買い物に出掛けた。
身を切るような風を受けて走る。でも、少し慣れると気持ちよくなってきた。少し気を張って車に付いて走っていると、その緊張感と冷たい風までが新鮮で気持ちよかった。

記帳しようと農協のATMに寄り、スーパーで買い物を終えて家に帰ると鍵がない。
勝手口の予備の鍵(これは鞄に付けている)で入ることはできたが、何処を探してもないことから落としたのだろう・・。
それも通帳と同じ箇所に入れた記憶があるので、ATMの側だろうと農協に電話をすると、「預かっています」とのこと・・ほっ。

この鍵を落とすのはこれで2度目。前はポケットに入れた後に、手袋と一緒に出たらしくて家の前に落ちていた。
もっと恐ろしいことは、昔財布をバイクの荷台に置いたまま走ったらしくて、国道に落とし警察からの電話で落とした事に気付いたことがあった。すべてが入っていたので本当にほっとしたものだった。

天使は忙しいだろう・・これからますます忙しくなるかも。どうぞよろしくお願いします。

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コメント一覧

ムベ
戸隠れストーリーありがとうございます
しがらみって、柵(さく)って書くのですね、なるほど・・って、まず此処でひとつ学びました。いや、楽しみました。

戸隠れ人の優しさにもなじめず、京を恋い慕う紅葉のストーリーが、戸隠れの風景に秘められているのですね。
私は京都産ですが住みたいとは思いません。京都人の底に流れる個人主義のようなものや、プライドのようなものを、悪い面で受け継いでいると自分に感じてはいますが・・。
今、此処の風景にぞっこんなのは幸いな事だと、教わった戸隠れストーリーを読んで感じました。

お誘いくださってありがとうございます。お尻が恐ろしく重いのです・・。でも、とても魅力的は土地ですね。言葉が一杯詰まっていそう・・。
電気屋
ちなみに(ウンチクですが、、)

戸隠って漢字の通り、名前の由来は
戸を隠したという所から来ています。
何の戸を隠したかといえば

世が暗くならない様にと天の岩戸を隠した場所で
西暦850年(嘉祥三年)には修行した記録が残ってますから、山深いなりの価値があったと
私の家の谷向かいに見える所が柵(シガラミ)という所で

ウッキペディア百科事典より以下、抜粋ですが

「呉葉と両親は京に上った。ここでは呉葉は紅葉と名乗り、初め琴を教えていたが、源経基の御台所の目にとまり、腰元となりやがて局となった。紅葉は経基の子供を妊娠するが、その頃御台所が懸かっていた病の原因が紅葉の呪いであると比叡山の高僧に看破され、結局経基は紅葉を信州戸隠に追放することにした。956年(天暦10年)秋、まさに紅葉の時期に、紅葉は水無瀬(みなせ・鬼無里の古名)に辿り着いた。経基の子を宿し京の文物に通じ、しかも美人である紅葉は村人達に尊ばれはしたものの、やはり恋しいのは都の暮らしである。経基に因んで息子に経若丸(つねわかまる)と名付け、また村人も村の各所に京にゆかりの地名を付けた。これらの地名は現在でも鬼無里の地に残っている。だが、我が身を思うと京での栄華は遥かに遠い。このため次第に紅葉の心は荒み、京に上るための軍資金を集めようと、一党を率いて戸隠山(荒倉山)に籠り、夜な夜な他の村を荒しに出るようになる。この噂は戸隠の鬼女として京にまで伝わった。ここに平維茂が鬼女討伐を任ぜられ、笹平(ささだいら)に陣を構え出撃したものの、紅葉の妖術に阻まれさんざんな目にあう。かくなる上は神仏に縋る他なしと、観音に参ること17日、ついに夢枕に現れた白髪の老僧から降魔の剣を授かる。今度こそ鬼女を伐つべしと意気上がる維茂軍の前に、流石の紅葉も敗れ、維茂が振る神剣の一撃に首を跳ねられることとなった。呉葉=紅葉33歳の晩秋であった。」

確かに隣村の鬼無里(キナサ、平家に退治されて鬼が居ない里の意味)には、西京、東京、それぞれ一条から五条までありそこを流れる川は鴨川、ちゃんと五条橋という名の橋もかかっております。
ちなみに鬼無里には一軒だけ「平」さんというお宅があって、その時胎児に来た時住みついている御子息だと仰ってました。(代々警官です)

遠くて近くは、、ではありませんが、意外と都と近い関係が?
よろしければ一度お越しください。
彼女が住んだ洞窟や顔を洗った池も我が家からそう遠くありません(双眼鏡なら見える?)のでご案内差し上げます。長文失礼いたしました。
ムベ
電気屋さんコメント感謝します
わ~お、戸隠れって名前の通りに面白そうなところですね。
日本にまだそんな所が残って居るって素敵ですね。

孫と一緒にいるときは、楽しいだけというわけではないのですが、というのも私は本気で向き合ってしまって、子供っぽくなってしまう時もあるのです。
でも、だから刺激的です。それは一人になってからしみじみ感じるのですが・・。

女の子は育てていないので、孫に女らしさを感じるときは興味津々です。
お正月は日本人であることを舌や目で味わうときですね。
電気屋
お孫さんとの時間、宝ですね。

着物も百人一首もつくづく自分は日本人なんだな~って感じる時を頂けます。
女の子は小さい時から、”自分は今 ととのえられている”とか”見てもらっている”という意識がある事が多く何処か誇らしげにさえ見えます。
同じ様にしてもそれを面倒に感じる男の子とは、どこかしらその違いを興味深くみます。

私の家から2~3kmの所に猿丸という地所があって、高貴な生まれながら(聖徳太子の孫とも!)、生まれついての障害が体にあり、京から送られ、小さな住まいと畑の跡だけが今でもあると聞いています。
散策したいのですが、倒木やツルが蔓延っていてあと熊との遭遇も確率が高いのでまだ行ってません。
ウッキペディア百科事典でも「長野県の戸隠には猿丸村というところがあって、猿丸大夫はその村に住んでいたとも、またその村の出身とも伝わっていた」

とありました。
花札の絵にもなったあの句がこちらでもし詠われたと想像するだけでなぜか楽しいものです。

誠に子やお孫さんは神様が旦那さんを通して残してくれた(共同作業ですが)宝物ですね~
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