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石ころ

「オカァサン」

 最近はセールスマンも、銀行員も、テレビのアナウンサーでも、いとも親しげに他人に向かって「オカァサン、オカァサン」と呼びかける。私にはとても抵抗がある。私以外にも「嫌だ。」と言われる方を何人も知っている。

初めてセールスマンからそのように呼ばれたときには、親しげにすり寄り、おもねるようなその言葉を私は嫌悪した。あなたにも唯一のお母さんがあるでしょう。誰かれかまわずにそんな大切な言葉を使って良いのかと・・。

 私は12歳で母を亡くし、その言葉を封印した。親戚の人に、叔母のことを「お母ちゃん」と呼びなさいと言われた時、その命令を無視した。そのように呼んだ方が、上手く行くことに気づかない年ではなかったけれど、取り引きできる事ではなかった。

それは私のアイデンテイティに関わること。私を目の中に入れても痛くないほどに愛してくれた人が居た。私の存在を完全に受け入れてくれた「お母ちゃん」という言葉は決して売らないと・・。両親を失って、私を否定する人々の中で唯一の拠り所だった言葉。


 長男の嫁さんに、初めて「お母ちゃん」と呼ばれた時、私はとても感動し嬉しかった。「お母さん」ではなく、長男と同じように呼びかけられて、心の底にすんなりと「うちの娘」と落ち着いた。もし仮に、今後なにがあろうと家の子だと・・。

今、孫達ができて、彼女たちも「お母ちゃん」と嫁さんを呼ぶ。おしゃれな呼び方もあるだろうに、我が家流の呼び方を伝えてくれたことに、彼女のやわらかな愛を感じている。

私は、「お母ちゃん。私も『お母ちゃん』になりました。そして、今、孫たちの内にあなたも生きていますね。」そう言える喜び。そしてこのことにも神様の深い憐れみを感じている。

父なる神様は、私たちを「父ちゃん」と親しく呼ぶことができる者としてくださった。この家族の関係には、イエスさまのいのちという犠牲が払われている。
私たち家族の呼び名にも、色々な犠牲や深い愛、思いがこもっている。


「 しかし定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。これは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。」(ガラテヤ4:4~6)

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コメント一覧

イチゴ
ありがとうございます 
ハレルヤ!
時々思ってくださってたなんて嬉しい限りです。石ころさんのコメントを読んだ後 さらに母の愛が大きかったことに気がつきました。もらえなかったものばかりに目を留めていた自分。神からの愛に対する自分の愚かな姿と重なりました。母の愛って神の愛に似ていますよね。でも人だから愛していても行いは罪の中に在ったのでしょう。わたしの母はまだこの世にありますから 娘は「救われるように祈る」ことを選ぶ これしかありませんね。救いはキリスト ただこれだけですね。
梅雨はちょっと体調が落ちるので読ませていただくだけでしたが 回復してきたのでまたコメント書かせていただきます。感謝です。
石ころ
コメントをありがとうございます (石ころ)
時々、イチゴさんのことを考えていました。
でも、いつも一緒だったのですね。今日コメントを頂いてとても嬉しいです。書いている方は案外孤独なものですから・・。これからもよろしく。

私の母は心臓病で、いつも死と隣り合わせでしたから、当時の医学では、あと幾らも生きられないことを知っていたと思います。
そこで、私に残してくれたものが、その瞬間の無条件の愛でした。そのほかには、何ひとつ残すものを持っていなかったからです。
母の病気による苦しみを見てきた私は、母が死によって苦しみから解放されたのだとホッとしました。
でも、その後孤独の中で、たとえ病院ででも、施設ででも母が生きていてくれたら、どんな苦労も母の顔を見るだけで報われただろうにといつも思っていました。

イチゴさんとお母様とのことを、私が知ることはできませんが、はっきり分かることは、主はすべての傷を癒し、失ったものを、まったく新しい姿で回復してくださるということです。
本当に、御子の血がそのことをしてくださることを私は知っています。
イチゴ
お久しぶりです (わたしの方からはブログ楽しみに読ませていただいてるので日常に当然いらっしゃる姉妹と言う感じなのですが) 
夜中に眠れなくて色んな想いから抜け出そうと必至にイエス様の逃げ場に向かっていたら 父でなく母のぬくもりが欲しいと思いました。今も母は病気で健在ですが いつも記憶に出てくるのは 母が私を精神的にも実質的にも頼っていたこと。それでも何か良い思い出がないかと探していたら ふたつみっつと思い出して癒されました。私はどんな母なのでしょう。イエスさまと出合ったことで 良くない連鎖は(父からのものを含めて)断ち切れてると信じたいです。
いや 信じます。おっしゃるとおり 御子のいのちの犠牲が払われてるのですから。
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