石ころ

百合に水引草 




 主人が亡くなって一年ということで親戚から花が送られて来た。大量の百合と少しばかりのトルコ桔梗に呆然。
写真に供えてと言う。気持ちを有り難いというべきだろうが、今もこの香りは胸に痛みを覚えるのだけれど・・。
一応は仰せの通りにしたけれど、写真は居間にあり一日中この花の中に居ることになり夜は辛い。

今日も朝から落ち着かなくて、少し花を減らせないものかと思いつつも、折角送ってくれたものを捨てるわけにもいかず、玄関に分けてもほとんど減らない・・。
逃げるように外に出たとき、目の前に茂る赤い水引草に気付いた。
数本手折ってきて百合の中に差すと一瞬に明るくなった。長い花茎を編んでみると赤いハートが出来て百合を囲んだ。死から蘇ったようでと~って楽しくなった。
主人の笑顔の写真に「どや」と自慢をする。彼はもちろん何時も上機嫌、そりゃそうだ一足お先に永遠の幸せにゴールしているのだから。


 心細いひとりの冬は、息子が準備してくれた北陸新幹線旅行の計画によって励まされた。旅行に備えて足を鍛えるために歩いたことで、体も心も支えられていたと思う。落ち込みそうな時体を使うことは良い。
春になって野菜を少し植えたり、庭をいじって過ごしたり・・。そうこうする内にだんだん分かって来た。
今が何のために準備された時間であるのかということ。すべては主のご計画であり、目的があるのだということ。

自分の成すべき事が開かれて、賛美にもみことばにも無制限が許されていることに気付いた。
それからは葬式のような百合に、赤いハートが差し込んだように世界が変わった。
私は今はキリストの花嫁として、そのことに居る。今は自由であり他に気遣うべきものは何もないのである。

妻は夫が生きている間は夫に縛られます。しかし、もし夫が死んだなら、自分の願う人と結婚する自由があります。ただ主にあってそうなのです。(1コリント7:39)新改訳

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