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石ころ

愚かなことばへの従順

 
ヨシュアがエリコに送り込んだ斥候に、彼らをかくまった遊女ラハブは、主のあかしによってエリコの民には恐れが在ること、また、自身が主に信頼することを語った。

 
「主がこの地をあなたがたに与えておられること、私たちはあなたがたのことで恐怖に襲われており、この地の住民もみな、あなたがたのことで震えおののいていることを、私は知っています。・・・
私たちは、それを聞いたとき、あなたがたのために、心がしなえて、もうだれにも、勇気がなくなってしまいました。

あなたがたの神、主は、上は天、下は地において神であられるからです。・・・
どうか、私があなたがたに真実を尽くしたように、あなたがたもまた私の父の家に真実を尽くすと、今、主にかけて私に誓ってください。そして、私に確かな証拠を下さい。
私の父、母、兄弟、姉妹、また、すべて彼らに属する者を生かし、私たちのいのちを死から救い出してください。」(ヨシュア2:9~13)

 
すでに主がエリコの民の心に恐怖を与えて、その地に働いていて下さっていることが分かります。ラハブは主のあかし、わざを聞いたことによって主を知り、時を移さず、真っ直ぐに主を選び取り、自分自身を主に預けた。このようして、ラハブは主の味方となって、家族と共にいのちを得た。
主はご自分の力をあかしされる。主のあかしに対してあなたはどうするのか、といつも問われているのだと思う。

ラハブは言った。「おことばどおりにいたしましょう。」この言葉は、「お言葉通りこの身になりますように」そんなマリヤの言葉を思い出す。
「おことばのようにする」それが信仰告白。主に対するその行いこそがいのちを得させるすべてだと思う。

エリコ戦の前に、主は再びヨルダン川を分けてイスラエルを渡らせ、ヨシュアがリーダーとして、主によって立てられていることをあかしされた。
主は人をご存じで、うなじのこわい民であることもご存じだから、ヨシュアが信じるに足りる者であると証してくださった。人は、主のわざを見なければ信じることが出来ない者であることも、そんな弱さを持っていることも主は知って居られるから。

主はイスラエルの戦士たちに、エリコ直前で割礼を命じられた。そうして彼らを完全に無力な状態に置かれた。割礼は激しい痛みを伴い数日は動けなくなるために、敵の前で行う事は愚かなことだけれども、彼らは主に聞き従って自分たちの従順を証した。

またヨシュアに対しても主への従順を試された。

 
さて、ヨシュアがエリコの近くにいたとき、彼が目を上げて見ると、見よ、ひとりの人が抜き身の剣を手に持って、彼の前方に立っていた。ヨシュアはその人のところへ行って、言った。「あなたは、私たちの見方ですか。それとも私たちの敵なのですか。」
すると彼は言った。「いや、わたしは主の軍の将として、今、来たのだ。」そこで、ヨシュアは顔を地につけて伏し拝み、彼に言った。「わが主は、何をそのしもべに告げられるのですか。」
すると、主の軍の将はヨシュアに言った。「あなたの足のはきものを脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である。」そこで、ヨシュアはそのようにした。(ヨシュア記5:13~15)

 
主に向かって、敵か味方かと私たちは問う者ではなく、主によって、私たちが良い時も悪い時も主を礼拝する者であるか、ということが問われているのだと思う。
抜き身の剣の前で、主のことばに従順する者であるか、伏し拝む者であるかと問われている。

今まで自分の判断、自分の賢さでもって生きて来た、人の汚れたわざによる生き方を、完全に主により頼む、清い生き方に向きを変えるようにと求められているのだと思う。

主のわざを知っていながら、エリコは強固な城壁をもって身を固くした。彼らの前に城門を堅く閉ざし、主に対して守りを固めた。
もし、この町がもっと脆弱であったなら、とても守ることが出来ないようなものであれば、主の前に自分をわきまえることが出来ただろう。そうだったら・・聖絶の対象ではなかったかも知れない、と思ってしまう。
 
 
ヨシュアは民に命じて言った。「私がときの声をあげよと言って、あなたがたに叫ばせる日まで、あなたがたは叫んではいけない。あなたがたの声を聞かせてはいけない。また口からことばを出してはいけない。」
・・・
その七度目に祭司たちが角笛を吹いたとき、ヨシュアは民に言った。「ときの声をあげなさい。主がこの町をあなたがたに与えてくださったからだ。
そこで、民はときの声をあげ、祭司たちは角笛を吹き鳴らした。民が角笛の音を聞いて、大声でときの声をあげるや、城壁がくずれ落ちた。そこで民はひとり残らず、まっすぐ町へ上って行き、その町を攻め取った。(ヨシュア記6:10.16~20)

 
人のわざによって主に立ち向かうことになったその堅固な城壁は、人が指一本触れる間もなく、主の方法によって崩れ落ちた。
主の方法を行ったのは、神の愚なことばに対する人の徹底した従順だった。

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