石ころ

永遠へと続く時を刻む



 主人が、9月16日未明に下血による大出血を起こして、救急車により医大病院に運ばれる。その後も悪性リンパ腫からの出血が止まらず、緊急に血管をふさぐ手術を受ける。医師より「家族の方を呼んでください」と伝えられる。

後に、体の4分の3の出血があったこと、輸血により保っているが何時また出血するかわからない状態であると言われた。
横浜から駆けつけた息子にその夜は付き添ってもらって、翌日行くと主人の様子が様変わりしていた。

下血の後始末のために時間がかかっていたこともあって、病院に行くのが遅くなったことも主人には良くなかったと思うが・・
床上安静を求められるもトイレに行くときかず、幸い輸血は終わったばかりであったけれど、自分で点滴の管を抜き治療が困難な状態になる。

主人は、自分の言葉を無視されることをとても嫌う。言葉が通じないような苛立ちがあったのだろう・・。「動かないで・・」と押さえつける私に、「お前だけは信じていたのに、裏切るのか」という言葉はとても悲しくて、主人にとって今一番大切なことは何だろう・・と泣きながら考えた。

 医師は説明を繰り返してくださった。私の身も案じてくださったが、「主人はもう元に戻らないのでしょうか」と尋ねると「家に帰られたら戻ると思います」と言われたので「では帰ります」と言った。

帰ることがどれほど非常識なことであり、危険かを話してくださったけれど私の心は決まっていた。
縛って治療する方法も薬によって静かにさせることもあるが、この状態でそれをするとどうなるかもわからないとも聞いていたので、形相を変えて不安の中に居る主人にそんなことはできなかった。

病室ですべての管を抜かれた主人は、私を見ると「服を着せてくれ」「ズボンを履かせてくれ」と言ったのでその通りにする。さっさと出て行く後を財布だけ持って追った。

迎えに来てくれる息子を、「玄関で待つ」と言って階段をどんどん下りて行く。
途中で疲れたら戻ろうと思っていたけれど、7階から1階まで一気に下りてしまった。
誘うと玄関の椅子に掛けてやっと落ち着いたので「此処で待とうね」と何気ない会話をし、コーヒーショップに誘ったりして時間稼ぎをする。

もし、息子を待ちきれずに外に出て行くなら一緒に帰ろうとも思った。途中でどうなるかわからないけれど、離れることはできないから。
息子が医師の説明を受け、一晩の外泊許可を貰ってきてくれた。帰って様子をみるしかないということだった。

 タクシーの運転手さんが「長い間入院していたら、そら帰りとうなりますなぁ」と言ったので、「来たばかりなんです」と答え「そら、辛抱無いなぁ、普通2週間は辛抱しまっせ」と言ったとき誰もが笑った。
一体この非常識な明るさは何なんだろう・・と思いつつも、主人の解放感を一緒に味わっていたのだ。

翌日、医大に息子が行って退院手続きをしてくれた。そのとき「本当は家庭で看取ってあげるのが一番良いのです。」と言ってくださり、「何かあったら電話をするように」と言ってくださったという・・、非常識な行動に対して寛大でいてくださったことは有り難かった。

近くのお医者さんに紹介書も書いてくださったので依頼に行く、「往診による点滴を毎日と書かれていますが、毎日はできません。」と無理な依頼に困惑される先生に伏してお願いをする。
それでも引き受けてくださって、駄目と言われていた土曜日も祝日も来てくださっている。

 主人は家に帰るなり、すっかり落ち着いてまったく普段に戻っている。まるで病院のことが嘘のように、協力的で私を気遣ってくれる。トイレにも自分で行くので特に手がかかるわけでもなく、嫁さんが連れて帰ってくれた孫達を嬉しそうに眺めている。

息子も一週間以上仕事をやり繰りして一緒にいてくれ、不安がないように訪問看護の手続きなどもしておいてくれた。嫁さんは「何時でも困ったことがあったら、すぐに来るから電話をしてね。」と言ってくれた。
彼らはぎりぎりまで爺ちゃんと話し、笑わせて「また、来るね。」を繰り返しながら帰って行った。

 今、淡々とした時間が流れている。これがどんなに大切な時間なのか・・少しは分かっているけれど、実際は一ヶ月前と同じであり一年前と同じように話している。いや、少しは優しくなっているかな・・、互いに相手がどれほど大切であるかが、かってなく身に染みているから・・。
食事は出来ない主人、その命が何で保っているのか・・イエス様のくださる力なのだと知って居る。

イエス・キリストを信じる者のいのちは永遠に生きる。体は塵に戻っても霊は完全な新しい体を得て、主と共に永遠を生きる。
死のことは主人が元気なときに話した。だから今は生きようとする力を応援している・・、といっても何ができるわけではないけれど・・。

この世に生きることも、御国に行くことも結局キリスト者には同じ事、どこででも主により生きるのだから・・。それは今の続なのだ・・、
それでも、胸を締め付けられるときがある。それは父なる神さまも味わってくださったことであった。

どうぞ、みこころがなりますように。主人を御国への望みに満たしてくださいますようにという祈りを抱きつつ・・。
しかし、実は今はそれほど祈っても居ない。すべてを支配しておられる主に、主人ぐるみで安息しているから・・。

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コメント一覧

ムベ
電気屋さんありがとうございます
本当に、結婚してからの私たちの生活はシンプルそのものでした。
ずうっとイエス様に養われていました。

お言葉のように、主の備えてくださった父の家に帰ることの確信は何よりです。

医師が不思議だといわれるほど、穏やかな時が守られています。
イエス様の憐れみに深く感謝しております。

電気屋
「実は今はそれほど祈っても居ない。すべてを支配しておられる主に、主人ぐるみで安息している」

家はいいですね。我家に優る所なんでありません。
神の子供は皆、その父である方の家に帰る。

「私と父は一つです」

と、言われたイエスにとって父の家は私の家です。

吉野の山の麓で生きて来られたご主人の実体験で培われた知識はホンモノと感心しました。
御年を召しても、無駄のない立ち姿は、目指したい形です。
また、お会いできる時を楽しみにしております。
ムベ
まこさん、お祈りを心から感謝いたします。
本当に、主はいかなる時も脱出の道を備えていてくださいます。
私たちは決して行き詰まることはありませんね。
ただ、ずっと「恐れるな」と語られているように思います。
現実という大軍にも・・

時々身に染みるような寂しさも、主は知っていてくださるゆえに慰めを感じています。

あなたがたはこのおびただしい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから。(Ⅱ歴代20:15)
まこ
更新が無いので案じていました。長い壮絶な一週間でしたね。
凄まじい光景の中に主を見せていただきました。
命を司っておられる主を畏敬する思いにさせていただきました。
どうぞ、日々刻々、イエス様の御助けがありますようにと切にお祈りいたします。
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