石ころ

地も主のもの (ルカ10章)




 その後、主は、別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。
そして、彼らに言われた。「実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。(ルカ10:1~2)


主は弟子たちを組織立てて送り出すことはされず、家族と言える最小の二人ずつ送り出された。
そうして、足りない働き人を祈りによって満たしなさいと言われた。必要を御父に願いなさいと言われたのである。

さあ、行きなさい。いいですか。わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に小羊を送り出すようなものです。(ルカ10:3)

「はじめてのおつかい」を思い浮かべた。幼い兄弟が手を繋いで出掛けるような絵である。その時は彼らが幼いゆえに、撮影スタッフが細やかな配慮をして危険から守っている。
主も、幼子のような者を選ばれているのだから、私たちの守りは完全なのである。人には予測の出来ないことも起こるが、主に予測の出来ないことはないのだから・・。

財布も旅行袋も持たず、くつもはかずに行きなさい。だれにも、道であいさつしてはいけません。(ルカ10:4)

小羊イエスもこの地にご自分を守るための備えは何もされなかった。そうして人のご機嫌を伺う言葉ではなく、ただ真っ直ぐに御父の言葉だけを語られた。
幼子が父と旅をするとき、財布や荷物を持つ必要があるだろうか。すべてを持っている父と一緒ならそれだけで完全なのである。

さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」
イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちました。
だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」(ルカ10:17~20)


御父の権威を経験した彼らの喜びは、イエスさまの喜びでもあった。イエスさまがもっとも喜ばれることは、私たちが父なる神様の権威を知ることであるから・・。
それは一つひとつの現れに対する喜びではなく、「アバ父」を喜ぶよろこびである。

ちょうどこのとき、イエスは、聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。(ルカ10:21)

天地の主は天を支配し地も支配しておられる。そのことを人が知ることはイエスさまの大きな喜びである。
強くて賢い狼の中に置かれている私は、自分自身を守るものを何も持っていないけれど、主に在っては「害を加えるものは何もない。」と書いてある。

確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。(ルカ10:19)

幼子のようであるから安全なのである。それが父の選びの条件なのだから・・。
御父の支配される地はそういう所である。

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