石ころ

猫の分


 鮮度の良い鰺を買ってきてせっせと干すと、何処からともなく現れる野良猫。一晩中ガタガタン、バタバタと軒端の物干しの下で大騒ぎ。主人に「眠れないから干物作りをするのは止めろ」と小言を言われた。

 鰺1枚と、どうやって取ったのか鰺の頭だけ1枚分盗られた。怒りもしない私の様子を主人は不思議がったけれど、理由はとても簡単、4匹1パックで買ったから、息子が帰ってきて食べても1枚余る勘定で、「ああ、猫の分だったのか」と思っただけ。

 今まで色々と干しても盗られなかったのに、昨夜はついに盗られた。どこかで聞いた言葉に「どんな脳も学習する」という言葉があったけれど、竿の真ん中に吊して置いたのに、なんとか登って竿の端から引き寄せたのだろう、頭を盗られた鰺は端の方にぶら下がっていた。猫は餓えを満たす切実な要求から学習したのだろう。


 私は、神の御子のイエス様が、十字架にかかってまでたまわったいのちに対して、猫ほどに切実な渇きを持っているのだろうか。猫ほどに飢えているだろうか・・学習しているだろうか・・そのように切実でないのはなぜだろう・・

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コメント一覧

石ころ
meek様コメントを有り難うございます。
礼拝をご一緒できて感謝でした。主が共にいて下さいましたね。
meek
私からみると、ムベさんの姿勢は猫なんかよりもはるかにすごい飢え渇きで御言葉をしたっておられるようにお見受けします。

今日はカナン教会の礼拝に参加させていただきありがとうございました。ムベさんの礼拝に向かう背中を後ろから見ながらそう感じました。

さて、ムベさんのメールアドレスをブログから見つけることができませんでした。もしよかったら、k-uozumi@mub.biglobe.ne.jpまでメールをくださいませ。
石ころ
石田様
いつも読んで下さって有り難うございます。分かち合うことが出来るコメントを頂いて、励まされております。

どうしようもない人である自分を、十字架の元に置いて、主が私の分を開いて下さる時を待っているのです。
石田耕也
身の回りの出来事から深い霊の事柄を教えられる、その視点が尊い、いつも「石ころ」を読んで思わされるのはそのことです。短い云いあらわしですが、小弟の霊の喜びです。ただ御名を崇めるばかりです。
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