鮮度の良い鰺を買ってきてせっせと干すと、何処からともなく現れる野良猫。一晩中ガタガタン、バタバタと軒端の物干しの下で大騒ぎ。主人に「眠れないから干物作りをするのは止めろ」と小言を言われた。
鰺1枚と、どうやって取ったのか鰺の頭だけ1枚分盗られた。怒りもしない私の様子を主人は不思議がったけれど、理由はとても簡単、4匹1パックで買ったから、息子が帰ってきて食べても1枚余る勘定で、「ああ、猫の分だったのか」と思っただけ。
今まで色々と干しても盗られなかったのに、昨夜はついに盗られた。どこかで聞いた言葉に「どんな脳も学習する」という言葉があったけれど、竿の真ん中に吊して置いたのに、なんとか登って竿の端から引き寄せたのだろう、頭を盗られた鰺は端の方にぶら下がっていた。猫は餓えを満たす切実な要求から学習したのだろう。
私は、神の御子のイエス様が、十字架にかかってまでたまわったいのちに対して、猫ほどに切実な渇きを持っているのだろうか。猫ほどに飢えているだろうか・・学習しているだろうか・・そのように切実でないのはなぜだろう・・
コメント一覧
石ころ
meek
石ころ
石田耕也
最新の画像もっと見る
最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事