石ころ

夢中になって(ルカ20章)




民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていたからである。(ルカ19:48)
ある日、イエスが神殿の境内で民衆に教え、福音を告げ知らせておられると、祭司長や律法学者たちが、長老たちと一緒に近づいて来て、
言った。「我々に言いなさい。何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのはだれか。」
イエスはお答えになった。「では、わたしも一つ尋ねるから、それに答えなさい。
ヨハネの洗礼は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。」(ルカ20:1~4)

神の御子に「誰の権威か」と聞くのも恐ろしいことだけれど、聞き入っていた民衆はイエス様のお言葉の権威に気付いていたから夢中になって聞き入っていたのだろう。
イエス様の質問に、人の権威による宗教者は人に相談している。まずは座ってメッセージを聴くべきであった。
キリスト者にとって最も大切なことはそれが天からのものか、人からのものであるのかを聖霊によって見抜くことである。

 礼拝の帰り、真っ青な空の下を大川沿いに原付で走った。風がとっても心地よくてそれは楽しかった。
心の中では「ペテロのように水の上を歩きたいものだ」そんなことを考えていた。
残り少ないこの世の日々を、この世でしか味わえない主を多く知りたいと欲深く考えている。

ペテロは湖を歩いてこられたイエス様を幽霊と間違えて彼の信仰は暴露された。また沈みそうになったとき信仰の薄いことも暴露されたけれど、そのことによって水の上を歩く経験とイエス様の御手によって水から引き上げられる経験をした。
(マタイ14章)

その経験によってペテロは、「本当にあなたは神の子です」と新しく主を知り礼拝することができたのである。
日々新しく主を知ることはこの世にいる間だけのことだから、命のある間に主を経験をして、日々新たに礼拝したいのである。そのような主との歴史を持って私は御国に行きたい。
神殿で夢中になって聞き入っていた民衆のように、もっともっと知りたい。

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