石ころ

みことばが成る (ルカ19章)



この記事のみことばの理解に誤りがありました。
マルコ11章では「すぐにここにお返しになります」とあり私のまちがいです。
ご注意ください。読んでくださった方には申し訳ありません。


「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。
もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」(ルカ19:30~31)


 イエス様のエルサレム入城のために、乗ってゆく子ロバを引いてくるようにと弟子が使わされた。とがめられたときに「主がお入り用なのです」と、みことばをそのままに語って引いて来た。「後で必ず返しますから」などと付け加えることはなかった。主がそのようには言われなかったからである。

彼らは純粋なみことばを語りみことばが成って、預言の主であることを証するロバが備えられた。

 人柄や言葉遣いによるのではなく、説得力でもなく、みことばを語るとき主がその言葉を実現されるのである。
だからサタンは純粋なみことばを語らせまいと私たちの感性に働きかける。「あなたは死にません」エバに好む言葉をささやいてみことばを打ち消し、私たちの賢さに働いてみことばに人の言葉を付け加えさせるのである。

主のご計画のために妥協してはならないことは、純粋なみことばに留まるり続けることである。ある人には愚かに見えても、みことばは救いを得させる神の力なのだから。主の備えを越えて賢くなろうなどとするべきではない。

この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。
また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。(黙示録22:18~19)


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