石ころ

ヨブ記 ②




 彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいない。彼はなお、自分の誠実を堅く保っている。(ヨブ記2:3)

神はヨブを正しいと認めておられる。だから、サタンはなをも食い下がる。

「しかし、今あなたの手を伸べ、彼の骨と肉とを打ってください。彼はきっと、あなたをのろうに違いありません。」
主はサタンに仰せられた。「では、彼をおまえの手に任せる。ただ彼のいのちには触れるな。」
サタンは主の前から出て行き、ヨブの足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で彼を打った。(ヨブ記2:5~7)


「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。」ヨブはこのようになっても、罪を犯すようなことを口にしなかった。(ヨブ記2:10)

この言葉が罪を犯さないためではなく、神への信頼から出ているなら祝福の実を結ぶ。しかし、主はこの言葉が何処から出ているのかを試される。

 3人の友の訪れはヨブの心を揺さぶる。人は罰せられているような姿を、親しい者に見られることには耐え難い。
それは善悪の知識の木の実を食べて以来、人の善悪によって、互いに見える所を裁きあい、自分を正しいとしてきたからである。

その後、ヨブは口を開いて自分の生まれた日をのろった。(ヨブ記3:1)

土の器にヒビが入るようにヨブの完全な心が裂かれて、中に潜んでいたものが現れ出てくる。

私の最も恐れたものが、私を襲い、私のおびえたものが、私の身にふりかかったからだ。(ヨブ記3:25)

申し分のない祝福の中に居ても、彼の心は安息していなかった。その正しい行いの心には、主へのおびえがあったのである。

あなたが神を恐れていることはあなたの確信ではないか。あなたの望みはあなたの潔白な行いではないか。
さあ思い出せ。だれか罪がないのに滅びた者があるか。どこに正しい人で絶たれた者があるか。(ヨブ記4:6~7)


友のテマン人エリファズの言葉はヨブを突き刺す。
しかし神は、彼に「わたしのしもべヨブのように、わたしについて確かなことを語らなかった」(ヨブ記42:7)と言われた。
彼らが何を語っても、善悪の知識の木による人の言葉にすぎないからである。

 ああ、私の願いがかなえられ、私の望むものを神が与えてくださるとよいのに。
私を砕き、御手を伸ばして私を絶つことが神のおぼしめしであるなら、
私はなおも、それに慰めを得、容赦ない苦痛の中でも、こおどりして喜ぼう。
私は聖なる方のことばを拒んだことがないからだ。(ヨブ記6:8~10)


体と心の激しい苦痛の中でヨブは主のことばを求め続ける。このことがヨブの真の正しさなのである。

人とは何者なのでしょう。あなたがこれを尊び、これに御心を留められるとは。
また、朝ごとにこれを訪れ、そのつどこれをためされるとは。
いつまで、あなたは私から目をそらされないのですか。つばをのみこむ間も、私を捨てておかれないのですか。(ヨブ記7:17~19)


ヨブは「神はいない」とは言わない。ずっと主の眼差しを感じている。人が責めに耐え得るのは、主の眼差しの中に居るからである。
近くに居られることを知って叫んでいる。軽んじられていないことを知っていて、御手の重さの中で格闘しているのだ。

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