石ころ

ヨブ記 ①




ウツの地にヨブという名の人がいた。この人は潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた。(ヨブ記1:1)

ヨブ記は、ヨブの信仰をほめる言葉から始まっている。彼は主に愛されて、大きな祝福の中ですべて満たされて富豪であった。

彼には七人の息子と三人の娘が生まれた。(ヨブ記1:2)


家族にも恵まれて、子ども達は互いに祝宴を開いて招き合っていた。家族ぐるみで主にある平和と繁栄を満喫していたのである。

こうして祝宴の日が一巡すると、ヨブは彼らを呼び寄せ、聖別することにしていた。
彼は翌朝早く、彼らひとりひとりのために、それぞれの全焼のいけにえをささげた。
ヨブは、「私の息子たちが、あるいは罪を犯し、心の中で神をのろったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにしていた。(ヨブ記1:5)


溢れる祝福の中で、ヨブの心の底には心配の種があったのだ。大切な子ども達が、神のご機嫌を損ねて悪い事が起こるのではないか、幸せが奪われるようなことがあるかもしれない。

手落ち無く守ろうと子ども達に変わって、神にささげものをしていた。しかし、子ども達はもう大人であり、祝宴を開いて互いに招き合うほどであった。

ヨブは神の愛を知らなかったのである。主がヨブをも、その子ども達のひとり一人をも、妬むほどに愛しておられることを・・。神から子ども達を守ろうとすることは、神から子ども達を取り上げることである。

「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。(イザヤ49:15)


 これから起こるサタンの試みは、すべて主の許しの中に起こることであり、神の愛とヨブへの信頼から出たことである。御自身をヨブに悟らせるための試練である。

主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」
サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」
主はサタンに仰せられた。「では、彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう。ただ彼の身に手を伸ばしてはならない。」そこで、サタンは「主」の前から出て行った。(ヨブ記1:8~12)

主がヨブを評価された言葉はすべてそのとおりである。
サタンが来たのはヨブの信仰がほめられたからであり、どのようにヨブが打たれようとも、それによってヨブが貶められるものではない。

サタンはヨブの財産をすべて破壊し、ヨブが危惧していたことが起って、彼は子ども達を失った。

このとき、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、
そして言った。
「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。
主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」
(ヨブ記1:20~21)


後にヨブは知る事になる。「主はヨブの悩みを取られ、主はヨブに完全なものを与える」お方であることを・・。
そうして、心から従順して「御名はほむべきかな」という日を迎えるようになる。

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