結婚した当初、主人に誘われて大川で鮎釣りをして遊んだ。川底まで差し込む光がキラキラと光り、小石の一つひとつが白く見える奇麗な川だった。
友鮎を付けて貰って示された流れに棹さすと、鮎の動きが手に伝わって来てそれだけでも楽しかった。
釣り名人の主人が教えてくれる場所に持っていくと、鮎はすぐに引っかかってくれた。私が大騒ぎをしながらズルズルと河原に引き上げると、主人は酷い釣りだと笑った。
霞む山並みを「あれは黄砂や」と教えられ、そのとき初めて「黄砂」という言葉を知った。
遙か他国から飛んで来た黄色い砂によって霞む山を奇麗だと思った。
今は酷い正体を知ってしまったけれど、川底がもう光らなくなったように人がすべてを変えてしまった。
私たちが結婚した頃は、嫁が夫と人目のある川遊びをすることなどとんでもないことだった。嫁は畑や家事に精出す姿を村人に見て貰って、認めてもらうべきだったから・・。
わざわざ忠告しに来る人もあったけれど、主人の親は何も言わないでいてくれた。それでも、人目が気になると興ざめしてやめてしまった。
ある夜大喧嘩をしたことがあった。原因なんて覚えていないけれど、主人は「出て行け」と怒鳴って寝室に入った。私は玄関の間に積んだ座布団の側で眠り込んでしまった。
夜が明けると「帰る所がないのに悪かった。もう二度とあんなことは言わへん。」と主人は約束をした。
それ以来、喧嘩は何度も何度もした。癇癪を起こして怒鳴っても灰皿が飛んできても、絶対に「出て行け」とは言われなかった。
物を投げつけるときも、絶妙のコントロールで私には当たらなかった。
息子に一度だけ手を上げたことがあって、それを思い出してはとても後悔していた。
「覚えて居ない」って言っていたよと伝えた時の、主人のほっとした様子を思い出す。誰だって許されなければ親なんてやっていられない。
年を取ってから初めて「別れよう。お前は此処で暮らせ」などと言い出したことがあった。「あんたはどうするの」と訊くと「里へ帰る」と言ったので、私は必死に笑いを堪えた。
でも、今なを「出て行け」とは言えず、「お前は此処で暮らせ」という優しさが嬉しかった。
理由は「お前が分からんようになった。」というものだった。今更だったけれど同情もしてしまった。「そら、・・分からんやろうナァ」って、自分でも「よう分からん」のだから・・。
あの時は夕食に何か美味しいものを作って、それとなくご機嫌をとって終りだった。
主人の可愛がっていた観音竹を、私も大事に世話をして元気に沢山の葉が出てきた。これは見せたいなぁ・・何と言うだろう。
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