石ころ

心配



 主人が花がとても奇麗だと誘いかけるので、昼食後二人で近所をぶらぶら・・、此処のところ外に出ていなかったから・・、
確かに桜色満開・・花盛り。あらゆる花が白く黄色く咲き誇っている。
美しいこと・・それはわかる。ちょっとは感動もする。
桜、レンギョウ、コブシ、桃に杏・・、タンポポ、水仙、ムスカリの絨毯・・などなど山盛り・・

「もう・・、帰るわ。」
「なんや、向こうの桜もきれいやで・・」
「ちょっと、しんどい」
「無理せんでもええ・・」そう言ってくれる元気な主人を畑に残して戻る。

風邪の熱は下がったのにすっきりしない。
私が熱を出して寝込むなんて鬼の霍乱。少々の風邪気ぐらいでは布団に入ることもないけれど、今回は二日ほどダウンした。
病院ばかり出入りしているのだから、覚悟はしていたけれど・・。


 長男が3月31日の夜遅くに帰って来てくれた。仕事を終えてから横浜から帰ってくるなんて、そんなことが出来るのが驚きだった。
翌日の医大に付き添ってくれて、外科医の説明、血液内科医の説明を聞いてくれ、返事を次に持ち越してくれた。

てきぱきと冷静に聞いてくれるのは心強い。側で居てくれるだけでもほっとするし、頼ることが出来るということには、甘い味わいがある・・。
ただ、その後しんどさがどんどん増してきてダウンしてしまった。結局風邪に負けたのだろう。

熱が上がったり下がったりしているなかで、医師の説明がぐるぐると回っていて、「膵液が漏れることがあるかも・・、」それはどれほどか痛いことだろう・・。
「同じ手術は経験がない。」モルモットじゃない!それはあまりに怖い・・。でも、治療を受けるには避けられないことであり、主人は治療を受けたいのだ。

起き上がっては祈り、眠っては「イエス様助けて!」とつぶやく・・そんな中で、ふっと気がついた。
「愛しているから悩んでいるのだ」ということに・・。今までそんなことを考えたこともなかった。
主人に細かく指示しようとしたり、支配しようとしていることに気付いて後悔することは多々あったけれど・・。

愛して居るから、理屈が通らなくなるのだ。考えがまとまらなくなるのだ。
私はわりと理性でものごとを考える質だと思っていたのだけれど・・。いや、理性でみことばを選ぶことは普通ないか・・。混乱している。

「イエス様が守ってくださるから心配ない。死さえキリスト者には勝利である。」このことは何時だって「アーメン」。今だって少しも変わらない。
「本人の意志を重んじて、結果を一緒に負えば良い。」確かに、そうするつもりなのだけれど・・。一方で私はとても恐れている。

しかし、主人は私のように取り乱すそぶりもなく、淡々と畑仕事をしたり、野球に一喜一憂したり・・。
もし、主人が私のように取り乱したら本当にどうしたらよいのだろう。このことはとても感謝である。

 でも、今私はこれでも命がけで考えて居る。堂々巡りを倒れるまで繰り返して・・、みことばはあっても留まれず、霊も魂も体も疲弊して無力になってしまっている。

イエス様は十字架の上で「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」と叫ばれた。そのお言葉が何度も浮かぶ。
イエス様が父なる神様に見捨てられたのは、人の罪を負って罪人となられたからである。

しかし、今私は決して見捨てられることはない。
「わたしは、あながたがを捨てて孤児にはしません」それはイエス様のみ約束だから。アバ父の御前に今、私たちの罪は完全にあがなわれているから。


 熱が下がった朝、主人に私の思いわずらいを話した。
「わかった。検査は止めとこう。イエス様に任せよう。」と答えて、しばらく後「なんか、気持ちが軽うなった。」とも言ってくれた。
でも、本当にそれで良いのか・・今の私には内に恐れもある。

主人だって、医師の言葉によってまだまだ揺れるだろう・・。私だって、どこまで抗うことができるだろう・・。
私たちには今は何も分からない。しかし、イエス様は初めから終わりまでご存じなのだ。すべては主の赦しの中でのことであり、主は良い方で私たちの味方である。

だから、悩みつつ、惑いつつハレルヤ!と、声はでないけれど歌う!アーメンと歌う!
今、このままで御名をあがめる。

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