石ころ

キリストのからだを見る日まで(エペソ4章)

 

私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました。(エペソ4:7)


キリストのからだとなる私たちは、ジグソーパズルの1ピースのような存在で、その一つひとつは、神によって完全な形に造られてあっても、自分の姿だけを見ていては、キリストのかたちは見えず、「私は何をしているのだろう」と気落ちすることになる。


その私というピースは、他のピースと組み合わされて完成した時にのみ、自分の役割を知るのである。
また、働きに在って劣っていると悩んでいた部分も、取り囲む回りのピースによって補完されてあり、たまわった自分の形のままに、安息しておれば良かったことも知るのである。
一個のピースはみんなのピースのためにあり、みんなは一個のピースを助けているのだ。


聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、
ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。(エペソ4:12~13)


神よりたまわった賜物を、みことばに照らして思い巡らせる中で、その日その時の成すべき事が導かれ、それが全体のための働きであったことを、後に知るのである。
計画の完成図を知っておられる、聖霊の導きによって活動することがなければ、キリストのからだを見ることができない。


あなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。(エペソ4:23~24)


御国で、麗しいキリストのからだを見て共に歓喜する日まで、忍耐と渇きの中にあることは事実であって、それはイエスさまが世で味わってくださったものであり、主の御足跡を辿ることは光栄なことである。
互いに組み合わされて行くための、聖霊の激しい働きの中で、私たちは日々新しい導きを、ひとり一人が聴かなければならない。


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