石ころ

戦い




少し気落ちして・・疲れて・・そんな時、自分自身に語っている言葉。
不信仰なことばを口にしてはならない。それは本音とかではなく、告白となるからである。主は、私たちの心をすべて知っておられるけれど、それらを引きづり出すことはなさらない。イエスさまの十字架を通して見ていてくださり、口から出た言葉だけを聞いていてくださる。
また、サタンが吠えたける獅子のように探し回っているものは、キリスト者の不信仰な言葉である。訴えるための証拠を探しまわっているのだから・・。

「さあ、来たれ。論じ合おう」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。(イザヤ1:18)

私たちの中には、未だ肉からのあらゆるものが存在するのは事実である。祈りによって、点滴のように十字架の血潮で洗われ、主のみことばの聖い望みに、留まり続けなければならない。それが主との交わりの時、主はそこにみことばのパンを備えて、元気づけようと待っていてくださる。

良い事も悪いことも、口に出す言葉はすべて主に届いて「あなたの信仰」となる。不信仰なことばを不用意に口にだすなら、サタンのコレクションとなり、訴える口実となり、まず自分自身が責められ、立っている所は揺さぶられて平安は持ち去られる。

体も心も生身であれば疲れることもあり、気落ちすることもある。感情は絶えず揺れるものであり、知識は愚かだと嗤う。世の景色は時々刻々とめまぐるしく移り変わる。
だから聖書を開いて、みことばを口に出して自分に聞かせる。そう、自分自身にみことばを聴かせるなら、それがキリスト者の避け所であり砦となる。

私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主から来る。
主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。

見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。
主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。

昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。
主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。(詩編121:1~8)

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