石ころ

イエスさまに運ぶために(マルコ2章)




そのとき、ひとりの中風の人が四人の人にかつがれて、みもとに連れて来られた。
群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。(マルコ2:3~4)


動けなくなっている人を、イエスさまに運ぶには4人必要であった。同じ信仰を持つ勇敢な人が4人いた。私はショックを受けた、ものすごく難しいことのように思えたからである。だから・・此処で祈った。

実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。(ルカ10:2)


信仰によって常識を越えて屋根を破る愛、律法から解放された恐れない行動力をもって、ひとりの病人を4人でイエスさまの前に届けたのだ。それはどれほど息のあった働きであろうか・・。

彼らは、ただ、自由のない人に、イエスさまだけが持っておらる解放の言葉を聞かせたかったのだ。そうすれば罪からも病からも癒されると信じていたから・・。
イエスさまがごらんになったのは、その信仰であった。

イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました」と言われた。
ところが、その場に律法学者が数人すわっていて、心の中で理屈を言った。
「この人は、なぜ、あんなことを言うのか。神をけがしているのだ。神おひとりのほか、だれが罪を赦すことができよう。」(マルコ2:5~7)

そう、それは律法学者の言うとおり。神おひとりだけが罪を赦す権威をもっておられる。だが、彼らは、イエスさまのことばによる罪の赦しを、詐欺師の手口のように思ったのだ。自分たちが使い古した神の権威によって・・。

彼らが心の中でこのように理屈を言っているのを、イエスはすぐにご自分の霊で見抜いて、こう言われた。「なぜ、あなたがたは心の中でそんな理屈を言っているのか。
中風の人に、『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。(マルコ2:8~9)


彼らは、神の権威を用いて互いに罪さだめして、訴え合っている。だからイエスさまをも罪さだめする。「神のものは神に返しなさい」と言われている。
だからイエスさまは彼らの目の前で、神の権威をわざによって見せてくださった。

「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言ってから、中風の人に、
「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。(マタイ2:10~11)


言葉によるイエスさまの癒しを受けた者は、お言葉に拠って生きる。彼は家に帰り家族に混じって生きたのであろう。彼が何も言わなくても存在がイエスさまを証する。
死から四日目によみがえらされたラザロも、「人々の中にじっていた」とある。イエスさまは人にご自身を証言させる必要は無いのだ。

すると彼は起き上がり、すぐに床を取り上げて、みなの見ている前を出て行った。それでみなの者がすっかり驚いて、「こういうことは、かつて見たことがない」と言って神をあがめた。(マルコ2:12)

見た者は「神をあがめた」とあるけれど、その中に律法学者たちも居たのだろうか・・。彼らは、知らされたキリストのわざを受け取ったのだろうか。
罪を赦す神の権威を、目の前でイエスさまが知らせてくださった。それがどれほどの恵みか知ったのだろうか。

イエスさまの罪の赦しのことばを聞かないと、人はみな中風の様なのである。言い伝えの中に縛られて成すべき事がわからず、分かってもそれを行う力がないのだ。
その人をイエスさまの前に連れて行くために、愛によって屋根を破り、立ちはだかる城壁を飛び越えて運ぶ人が必要なのである。
イエスさま!

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