石ころ

神の最善(申命記3章)

 

私はそのとき、ヨシュアに命じた。「あなたは、あなたがたの神、主がこれら二人の王に対して行われたすべてのことを、自分の目で見た。主は、あなたがこれから渡って行くすべての国々にも同じようにされる。
彼らを恐れてはならない。あなたがたのために戦われるのは、あなたがたの神、主であるからだ。」(21~22)

 

モーセは主の勝利を経験したヨシュアに成すべきことを命じ、主の勝利は、彼らがこれから進んで行くすべての国に在ることを伝えた。モーセはこの言葉が遺言となることを知って・・。

 

私はそのとき、主に懇願して言った。
「神、主よ。あなたは、あなたの偉大さとあなたの力強い御手を、このしもべに示し始められました。あなたのわざ、あなたの力あるわざのようなことができる神が、天あるいは地にいるでしょうか。(23~24)

 

モーセが主を讃える言葉はすべて紛れも無き事実であり、人がどれほど言葉を尽くしても、ご機嫌取りやおべっかのような言葉とはならない。それゆえ、ほめ言葉によって神の心を変えることは出来ない。

 

どうか私が渡って行って、ヨルダン川の向こう側にある良い地、あの良い山地、またレバノンを見られるようにしてください。」(23)

 

人が願う言葉も、懇願しても主は聞いていてくださる。しかし、成就するのはみこころである。なぜなら人は目先のことだけを願うのであり、主は永遠の祝福をもっておられるからである。

 

それゆえ、どんなことでも申し上げることが出来る。望みの夢も、心に在る願い事も祈る事は出来る。それがみこころではないとき、主はモーセに言われたようにはっきりと拒絶されるが、それはもっと良いことを備えていて下さるからである。

 

しかし主はあなたがたのゆえに私に激しく怒り、私の願いを聞き入れてくださらなかった。主は私に言われた。「もう十分だ。このことについて二度とわたしに語ってはならない。(26)

 

モーセは、すべてを捧げて民を導いて来たレバノンを見ることを懇願したが、主はそれを許されなかった。だから、モーセは少し被害妄想になっているように見えるが、主はモーセを罰しているのではなく永遠の交わりを備え、イスラエルの祝福を彼は見ることになるのである。

 

神のご計画が進んで行くための世代交代は祝福である。モーセは囚われのイスラエルを解放して律法を取り次ぎ、その民に神の義を知らせて大いなる神の御わざを経験させ、神の忍耐と愛のうちに子孫に祝福の未来を備えた。

 

主はモーセの重責を完了させてくださったのである。彼はゴール目前の無念な結末と誤解しているが、神の計画の中でモーセは完成された


人の思いと神のご計画は違うが、どんな時も主は最善以外をたまわらない良い方である。まして、深い関係の中で語り合って来たモーセであればなおさらであろう。

 

ピスガの頂に登り、目を上げて西、北、南、東を見よ。あなたのその目でよく見よ。あなたがこのヨルダン川を渡ることはないからだ。
ヨシュアに命じ、彼を力づけ、彼を励ませ。彼がこの民の先頭に立って渡って行き、あなたが見るあの地を彼らに受け継がせるからだ。」
こうして私たちは、ベテ・ペオルの前にある谷にとどまった。(27~29)

 

神の永遠の祝福が子孫に受け継がれ、モーセにはヨシュアが備えられた。モーセは自分の願いを脇に置いて、彼を祝福して力づけたのである。それこそ主が彼を評価されたことであった。モーセは主のみこころに完全に従順した。

 

何を願っても懇願して許される。でも評価してくださるのは「アーメン」とみこころを行うことであり、自分の願いを捧げる礼拝である。その時主はどのような願いよりも、遥かに素晴らしい永遠に置いてくださる。

 

イエスはペテロとヤコブとヨハネだけを連れて、高い山に登られた。すると、彼らの目の前でその御姿が変わった。
その衣は非常に白く輝き、この世の職人には、とてもなし得ないほどの白さであった。
また、エリヤがモーセとともに彼らの前に現れ、イエスと語り合っていた。(マルコ9:2~4)


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