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石ころ

ハンナの涙


 今朝、「明るい!光っているなあ。」主人の感動。
「まあ、数日だと思うけどね。その感動も。」なんで私はよけいな一言を・・・と心の中で思いつつ、いつもすぐに冷やしてしまう。

 仮に、どんなに素晴らしい癒しを頂いたとしても、私たちの体は必ず土に返るものだから、癒されたことだけが嬉しいのではない。その癒しに至る過程がしみじみ感謝として残り、主が手を取るように導いてくださったすべての経緯が宝のように残り、私の深い所に刻まれてゆく主ご自身が最も嬉しい。


 ハンナはよっぱらいと思われるほどに、身も世もなく主の前で泣き崩れ訴えた。それはかっこよい姿ではなく、剥き出しの自我のようでもあるけれど・・。
でも、それは「なぜ、主は私を顧みてくださらないのですか?」という悲しみの大さだと思う。信仰者にとっては、誰のお気に入りであるよりも主のお気に入りでありたいもの。

「子供が欲しい、ペニンナに負けたくない、」だけではなかったと思う。だから、「子を授けてくださったら捧げます。」と誓うことが出来たのだ。彼女が本当に求めたものは子どもではなく「主」じゃないかなぁ・・。

主の御愛を知ったらサムエルを捧げることが出来る。主を知らない者が、エリにサムエルを預けることは絶対に出来ないだろうと思う。
主を求めるハンナの涙なら流したい。

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