今日は病院には行かないと伝えてあったので家でのんびりしている。明日は退院なので、また普通の日々に戻るのだから今日だけひとりを楽しもうと、ゆっくりすることを選んだ。「覗きにも来ないのか。」なんて主人はちょっと不満そうだったけれど、目も良く見えるようになったのだし、少しくらい病院生活の退屈さも味わってみたら・・そんな気持ち。
でも、早速電話がかかってきた。「明日帰れるから頼むわ。」「わかった。支払いの金額が分かったら知らせて。私が持っていかへんかったら出られへんよ。」「ああ、保釈金がないと出られへんからな、アハハ・・」主人は良く見えるようになって上機嫌。たいして退屈もしていない様子。あれこれあって、二人部屋にひとりで入っているから、気を使わなくても良くていたって元気。本当にイエスさまは憐れみ深くご真実。主人の言っていたとおりに一緒にいてくださっている。
ウオーキングで冬枯れの道を歩きつつ、エマオの途上にイエスさまが弟子たちとご一緒してくださったことを思っていた。私たちの霊の目が閉ざされ悲しんでいる時に、イエスさまはそっと側に来てくださる。私たちに歩を合わせて私たちの嘆きをもすべて聞いてくださり、みことばを解き明かして、目を開いてくださる主。本当に、主は、私たちを目に入れても痛くないほどに愛してくださっているんだ!事実、御からだを裂いてくださった。私たちはそのイエスさまの愛の証人。
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石ころ
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