石ころ

弟子は主の帰りを待つ (ルカ12章)




「あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。
そして、自分のたましいにこう言おう。『たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。』」
しかし神は彼に言われた。「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」(ルカ12:18~20)


持ち物を売って、施しをしなさい。自分のために、古くならない財布を作り、朽ちることのない宝を天に積み上げなさい。そこには、盗人も近寄らず、しみもいためることがありません。
あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです。(ルカ12:33~34)


食べきれない収穫物を施しとすることは、自分のために朽ちない天に移すことなのだ。だからそれは偽善とはならない。
その宝と共に彼の心も天に移り、このことは金持ちに対する救いの備えである。

腰に帯を締め、あかりをともしていなさい。主人が婚礼から帰って来て戸をたたいたら、すぐに戸をあけようと、その帰りを待ち受けている人たちのようでありなさい。
帰って来た主人に、目をさましているところを見られるしもべたちは幸いです。まことに、あなたがたに告げます。主人のほうが帯を締め、そのしもべたちを食卓に着かせ、そばにいて給仕をしてくれます。(ルカ12:35~37)


真理の帯を締めみことばの光の中で、昼も夜も主を待つ心は、すべての望みが主に在って、その愛に満ち足りているのである。
その時、天のふるまいである御国のいのちをたまわっている。主が準備してくださる食卓は、愛を分かち合う交わりの場である。

あなたがたも用心していなさい。人の子は、思いがけない時に来るのですから。
そこで、ペテロが言った。「主よ。このたとえは私たちのために話してくださるのですか。それともみなのためなのですか。」
(ルカ12:40~41)


主人の現れる思いがけないときを待ち望むのは誰か・・、主人の心を知って行う事を切望するのは誰か・・、それは弟子であろう。
再臨を待ち望んでいるのが弟子である。しかし私たちはもう今、霊に在って神の子とされ主と共に住んでいる。

わたしは真実をあなたがたに告げます。主人は彼に自分の全財産を任せるようになります。(ルカ12:44)

神の全財産をたまわる者は神の子である。

主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。(ルカ12:47)


十字架の犠牲と愛を知っていながら、主を愛する愛もなく、御わざを信じた者の栄光の経験もなく、みこころを願い求める祈りもないままに・・、
主が血潮を流して買い取られた者が、ムチをうけることはイエスさまの悲しみである。

わたしが来たのは、地に火を投げ込むためです。だから、その火が燃えていたらと、どんなに願っていることでしょう。
しかし、わたしには受けるバプテスマがあります。それが成し遂げられるまでは、どんなに苦しむことでしょう。(ルカ12:49~50)


十字架で主が完成してくださった救いは、ひとり一人に今日の信仰を問うものである。熱くも冷たくもなくまったりと生温い日々に、キリストのご計画があろうはずはない。

あなたがたは、地に平和を与えるためにわたしが来たと思っているのですか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ、分裂です。
今から、一家五人は、三人がふたりに、ふたりが三人に対抗して分かれるようになります。(ルカ12:51~52)


家族ということで自動的に救われるのではなく、そこに働かれる主のわざを真っ直ぐに見る者が、自分の判断によって救われるのだ。信仰はひとり一人が選び取るものであり、終わりの時にはそれがあきらかにされて行く。

偽善者たち。あなたがたは地や空の現象を見分けることを知りながら、どうして今のこの時代を見分けることができないのですか。
また、なぜ自分から進んで、何が正しいかを判断しないのですか。(ルカ12:56~57)

家族の間も信仰によって聖め別けられて行く。主が何をしてくださったのか、家族の間に起こった事を真っ直ぐに見て、イエスさまを礼拝するなら救われ、拒絶するなら永遠に続くゲヘナの苦しみが待っているのである。

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:31)

このみことばは家族の信仰の自由を否定する言葉ではない。神は御子を十字架にたまわるほどに人の自由を尊重された。しかし自由には責任が伴うのである。

あなたを告訴する者といっしょに役人の前に行くときは、途中でも、熱心に彼と和解するよう努めなさい。そうでないと、その人はあなたを裁判官のもとにひっぱって行きます。裁判官は執行人に引き渡し、執行人は牢に投げ込んでしまいます。(ルカ12:58)


救いをたまわる命のある間に、神さまと和解しなさいと言われている。


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