待っていた牧師先生が自転車で尋ねて来てくださった。確かに心待ちにしていた・・。雨催いだったので思わず
「大丈夫ですか」
「大丈夫降っていません」
「どうぞ、どうぞ」と、いつものようにありのままの居間に・・。
それから、いっぱいおしゃべりした。ほとんど主人のこと・・。
亡くなって2年半、最近とくに主人のことを思う・・。今まで閉じていた蓋が、時とともにゆっくりと開いてきたのだ。
もう「思い出しても大丈夫」ということなのだろう。
教会の兄弟姉妹のことも次々と尋ねて・・、「それほど気になるのなら、礼拝に出ればよいではないか」なんて言われないで、様子を教えてくださるのが感謝。
私は先生も兄弟姉妹も慕わしいのだ。
主は、私に世に対しては自由を与えて、豊かさにも貧しさにも罪定めからも解放してくださった。私はその自由を謳歌している。
ただ、霊に対しては自分でどうすることもできない不自由な身なのである。私はキリストに属する奴隷、それが私自身なのである。
先生はお昼過ぎまでおしゃべりに付き合ってくださった。帰って行かれるときに献金を託けるのも忘れていた・・おしゃべりに夢中だったから・・。それほど人恋しかったってことなのだろう。
自転車の上で手を振って橋を渡って行かれた。私も大きく手を振った。
今にも降り出しそうな空を仰いで、「まいったなぁ・・。」思わず口から出た。
このように暴発する自分の心の弱さを見たことに・・、そこに在る主の意図されることを感じて・・。
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