石ころ

みことばを語り主を経験させるリーダー(ヨシュア記3章)

 

主はヨシュアに告げられた。「今日から全イスラエルの目の前で、わたしはあなたを大いなる者とする。わたしがモーセとともにいたように、あなたとともにいることを彼らが知るためである。
あなたは契約の箱を担ぐ祭司たちに『ヨルダン川の水際に来たら、ヨルダン川の中に立ち続けよ』と命じよ。」(7~8)

 

主はヨシュアにヨルダン川が乾いて道が出来ることを伝え、聴いたヨシュアがみことばを確信する平安は、主がともにおられることによる現れである。

 

見よ。全地の主の契約の箱が、あなたがたの先頭に立ってヨルダン川を渡ろうとしている。
今、部族ごとに一人ずつ、イスラエルの部族から十二人を取りなさい。
全地の主である主の箱を担ぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまるとき、ヨルダン川の水は、川上から流れ下る水がせき止められ、一つの堰となって立ち止まる。」(11~13)

 

ヨシュアは主に聴いたみことばを民に伝えた。主が共におられるというヨシュアの確信は、世が見たことも聞いたことも無いみことばを、主に信頼して語った時に民の信仰をも育てるからである。

人がみことばに従うことが出来るのは、納得できる理屈によることではなく、巧みな説得によることでもなく、聖霊の働きによることであり、そこで求められるのは伝える者のみことばへの全幅の信頼である。

 

民がヨルダン川を渡ろうとして彼らの天幕から出発したとき、契約の箱を担ぐ祭司たちは民の先頭にいた。
箱を担ぐ者たちがヨルダン川まで来たとき、ヨルダン川は刈り入れの期間中で、どこの川岸にも水があふれていた。ところが、箱を担ぐ祭司たちの足が水際の水に浸ると、(14~15)

 

祭司の足が轟く水に入って行ったのは、聴いたみことばによる導きである。彼らはヨシュアから聴いたことばに拠って恐れではなく、先立つ主を期待してわくわくしていたのである。

私は勘違いをしていた。祭司の信仰によって水に足を入れたことで奇跡が現れたと思っていたが、ヨシュアがまだ見てはいないみことばに信頼して、命じた時に御わざは完成しており、ヨシュアの信仰によって祭司が育てられ従順したのである。

 

モーセも紅海を分ける奇跡に先立って民に主の備えを語っていた。御わざはモーセがみことばに信頼して、主の救いを語った時に完成していたのである。

モーセは民に言った。「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、今日見ているエジプト人をもはや永久に見ることはない。(出14:13)

 

川上から流れ下る水が立ち止まった。一つの堰が、はるかかなた、ツァレタンのそばにある町アダムで立ち上がり、アラバの海、すなわち塩の海へ流れ下る水は完全にせき止められて、民はエリコに面したところを渡った。(16)

 

主のみわざを経験させるリーダーが、知らなければならないことはそんなに多くはなく、生ける神と共に在ることをみことばから語り、折々に主のみわざを共に経験しつつ、主の備えの中で神の栄光を現わすことである。神が選らばれた者であることは彼の従順によって主が証される。

 

私たちが神の子どもであることも、みことばへの従順によって主が証してくださっている。

御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます。(ローマ8:16)

 

主の契約の箱を担ぐ祭司たちは、ヨルダン川の真ん中の乾いたところにしっかりと立ち止まった。イスラエル全体は乾いたところを渡り、ついに民全員がヨルダン川を渡り終えた。(17)

 

祭司が民が渡り終えるまでしっかりと立っていられるのは、ヨシュアから聴いたみことばを経験したことで、ヨシュアのうちにおられる主を共有する従順に拠ることである。


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