まことに、あなたがたに告げます。人はその犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。
しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。」
このように言われたのは、彼らが、「イエスは、汚れた霊につかれている。」と言っていたからである。(マルコ3:28~30)
イエスさまが、「汚れた霊につかれている」との悪い噂を聞いたマリヤは、兄弟を連れてイエスさまを連れ戻しにやってきた。
すると、イエスは彼らに答えて言われた。「わたしの母とはだれのことですか。また、兄弟たちとはだれのことですか。」
そして、自分の回りにすわっている人たちを見回して言われた。「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。
神のみこころを行なう人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」(マルコ3:33~35)
確かにこの時、マリヤは母とは言えなかった。なぜなら、子だというならあまりにイエスさまを知らなかったから・・。兄弟だというなら彼らも兄を知らなかった。
マリヤでさえも、肉の息子達の力を借りてイエスさまを連れ戻そうとしたのは、人の噂が恐ろしかったからであろう。
聖霊によらなければ、誰もイエスさまを主と認めることはできないのだから、聖霊の導きの中でイエスさまを日々知り、その交わりの中に留まり続けていなければ、簡単に不信仰に引き回されてしまうのが人なのだと思う。
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。(ヨハネ14:26)
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