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石ころ

天からの啓示に背かず


 イエスさまに出会ってすぐに、パウロは迫害する者から迫害される者となった。その時彼は、この世を見通す目を閉ざされて、完全に身の置き所を失った。
すべての豊かさも、すべての誇りも、今まで積み上げたすべての知恵も知識も、人々の賞賛も失った。
なにしろ、今先ほどまで追い回し、牢に放り込み、迫害していた人々に身を任せることになったのだから・・。
そうして、ただイエスさまにすべてを捧げる者となった。彼は天からの啓示に背かずそれを選んだ。

 ペテロやアンデレ、ヤコブとヨハネ、マタイも自分の仕事を投げ出して、イエスさまに呼ばれるとすぐに付いて行った。父さえも残して従って行った。そのとき、彼らもまたイエスさまとともに枕する所もなくなり、イエスさまだけがすべてとなった。

イエスさまの弟子に求められる条件はひとつだけ。「すぐに・・」ということ。
「また、別のひとりの弟子がイエスにこう言った。「主よ。まず行って、私の父を葬ることを許してください。」
ところが、イエスは彼に言われた。「わたしについて来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」(マタイ8:21~22)


 アブラハムも神様に「イサクを捧げよ。」と言われたとき、「翌朝早く」従った。
もし、時間を置いて躊躇するなら、その間をサタンに与えることとなり、内にサタンの足台を作ってしまうことになるだろう。彼は上手く引き留めてくれるだろうから・・。

 イエスさまの再臨の日に名を呼ばれたなら、私たちのすることはすぐにそのまま、主に駆けて行くこと。
でも、それはいつでもそのようでなければ無理であろう・・。
日々の生活の中で、イエスさまに信頼してすべてをお任せしていなければ、どうして突然呼ばれ、いきなり未知に飛び込むことができるだろう・・。

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