石ころ

みことばの中に安息する(Ⅱテサロニケ1章)

 

兄弟たち。あなたがたのことについて、私たちはいつも神に感謝しなければなりません。そうするのが当然なのです。なぜならあなたがたの信仰が目に見えて成長し、あなたがたすべての間で、ひとりひとりに相互の愛が増し加わっているからです。(3)


偽りのない愛には信仰の成長が必要である。いつまでも変わることのない愛は、キリストの豊かな臨在から流れてくるものだからである。


それゆえ私たちは、神の諸教会の間で、あなたがたがすべての迫害と患難とに耐えながらその従順と信仰とを保っていることを、誇りとしています。(4)


伝道の力は、成長する教会の信仰を見ることによって増し加わるだろう。パウロを喜ばせ力付けたのは教会の成長であった。それはキリストの喜びの共有だった。


このことは、あなたがたを神の国にふさわしい者とするため、神の正しいさばきを示すしるしであって、あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。(5)


神の国にふさわしく育てられ、その身に神の正しい裁きを現す者とされるなら、キリスト者にとってその苦しみは、これ以上ない光栄なことになる。それが「神の国のため」と認められることはなおさらである。


苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現れるときに起こります。(7)


その安息は、永遠に変わることのない御国の安息である。主の再臨の日に受ける報いである。
でも、イエスさまを主と告白してみことばを聴いた日から、キリスト者は永遠の安息の約束に居るのである。たとえ世で苦しんで居る間であっても・・。
キリスト者の必要はすべて、いつでも、みことばに備えられてあるのだ。だから、キリスト者は、すべての欲求をみことばによって満たす者である。


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