石ころ

「おはよう」(マタイ28章)





イエスさまが十字架から下ろされ、ヨセフによって墓に葬られたとき、
そこにはマグダラのマリヤとほかのマリヤとが墓のほうを向いてすわっていた。(マタイ27:61)

ただ、呆然と座っているマリアたちの様子が浮かぶ・・。彼女たちがずっと十字架の側を離れなかったのは、望みがあったからである。死者さえも生き返らせた方なのだから。しかし・・、イエスさまは死んで葬られ墓だけが残された。

安息日が終わって、マグダラのマリヤたちは墓に飛んで来た。そう「明け方近く」とある。墓に現れたのは白く輝く御使いだった。御使いから、イエスさまの言葉のとおりに、よみがえられたことを聞いた。そうして見た空の墓。
彼女たちは、御使いに言われたとおりに、その素晴らしいニュースを弟子に知らせに走った。その時、イエスさまに声をかけられたのだ。

すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう」と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。
すると、イエスは言われた。「恐れてはいけません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです。」(マタイ28:9~10)


素晴らしい知らせを信じて走るときに、イエスさまはご自身を見せてくださる。
「おやよう」とイエスさまが声をかけてくださった時、彼女たちの喜びはどれほどだったろう・・。御足を抱いて礼拝したとある。これほど嬉しい礼拝が他にあろうか。

「おはよう」は、新しい関係の始まりである。もう、限りある御体にすがりつく必要は無く、今、遍在の主に在って、いつもどこででも礼拝することができるのである。
主は私たちの内に充満していてくださる。もう探さなくても良い。この事実を「恐れてはいけません」なのだ。

天にも地にもいっさいの権威をもっておられる方が、共に住んでくださる。だから「恐れるな」と言われる。確かに主は、今この地に置いてもいっさいの権威を持っておられるお方なのであるから・・。

イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。(マタイ28:18)


イエスさまを殺した者たちは、兵士からよみかえりの事実を聞いて、それが予言のとおりであることを知っても、悔い改めることはなかた。偽情報が流されて、イエスさまのよみがえりは隠蔽された。
しかし、偽情報は信じ無い者に対しては力があるが、イエスさまを主と信じ信頼する者は揺るがされない。いつもみことばの中に働く主の力によって知っており、御声を聴き続けるからである。

主は、キリスト者が気落ちして、「主は生きておられるのだろうか」と墓の方を向いて座っている時も、聖霊によってみことばを解き明かしてくださる。「おはよう」と目を開いてくださる。私たちはその度に主と出会い、日々、新しく主を知る者となる。
そうして、聴いたみことばを持って、主とともに走り出すようになる。

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。(マタイ28:19~20)

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