「荒野にはイエスさまが居られる。しかし、サタンも居る。」
昔、痛い目にあったときに聞いた言葉・・。
主は荒野で、獣のほえる荒地で彼を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分のひとみのように、これを守られた。
わしが巣のひなを呼びさまし、そのひなの上を舞いかけり、翼を広げてこれを取り、羽に載せて行くように。
ただ主だけでこれを導き、主とともに外国の神は、いなかった。
主はこれを、地の高い所に上らせ、野の産物を食べさせた。主は岩からの蜜と、堅い岩からの油で、これを養い、(申命記32:10~13)
荒野でないと聞けないことばがある。
あらかじめ知らされていた言葉を、空腹の中で思い出し反芻する時、もっと近しく知るから、「私の主。私の神」とひれ伏す。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。(詩編23:5)
主の備えてくださる食べ物は時に叶った特別メニュー、だから・・私の杯はあふれています。
「イエスさま。愛しています。」
告白の度に・・注がれて溢れ出すみことば。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
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