神である主は蛇に言われた。「おまえは、このようなことをしたので、どんな家畜よりも、どんな野の生き物よりものろわれる。おまえは腹這いで動き回り、一生、ちりを食べることになる。
わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」(14~15)
賢い蛇は愚かなことをした。神の作品に罠を設けて、己が罠にかかって滅びを招き、人類を祝福する計画を推進したのである。
女の子孫に来てくださるキリスト・イエスによって、サタンともども終わりなき滅びに入るのだ。
蛇はイエスの踵に十字架の釘を打ち込むが、イエスは神のご計画に満足されたのである。
彼は自分のたましいの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を負う。(イザヤ53:11)
十字架を通って救われた者は、土地の塵から創造された人よりもはるかに神に近い。それは、神の御子の血によって生まれた者だからからである。
それゆえ私たちは、御声を聞いた時「はい。私は此処に居ります。」と自分のことなど忘れて、幼子のように声を弾ませるのである。