「そうして、イエスさまは神様にならはったんやね。」という彼女の言葉に
「いいえ、いいえ。イエスさまは初めから神様なんだよ。」と私はちょっと慌てて言った。
「えっ?」彼女にはその意味が分からないらしい。
「ほら、創世記の初めを読んだ時、『初めに神は天と地を創造した。』ということばに、すごく感動したでしょう。」
「そう、そう、だから、きれいな花を見たり、鳥の声を聞いた時に、これは神様が造ってくれはったんやと思うと感動するわ。」
「そう、その創造は、すべてイエスさまによって造られたと聖書に書いてあるよ。
人は、努力をして頑張り、自分の力で神様に認められるようにならなければならないと思っているから、出来る限り完全を目背して、神のようになろうと、上に上にあがって行こうとするけれど、イエスさまは神様なのに、神の権威、力を捨ててご自分が造られたもののひとつである、この地上の、マリヤのお腹に小さくなって来てくださり、それも臭い家畜小屋にまで下って来てくださったでしょう。
人間の中ででも、最も低いところに来てくださって、誰でも恐れずに近づけるように、どんな人でも、親しく自分の所にお迎えすることができる御方となってくださったの。
すべての力を持った神様なのに、完全に人となって、弱い私たちと同じように弱さを持ってくださり、罪は犯されなかったけれど、私たちと同じように生きてくださった。
そして、十字架で私たちのすべての罪を負って、ご自分の命を与えてくださったの。神様がびっくりするほどへりくだってくださって、あり得ないことが起こったということなの。」
「それやったら、まったく逆やね。」
「そう、事実は真逆。人の思いとは逆だから謙遜にならないと、想像できないほど謙遜なイエスさまを知ることはできないのだと思うわ。そして、なんとイエスさまはこんな私たちの中にまで来てくださったの。だから、弱さを経験したということは感謝やね。弱さの中でなら謙遜になれると思うから。」
「この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」(ヨハネ1:2~3)
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