石ころ

いのちの喜び




 癒しも満たしも・・それは主の喜びのため。
私たちの喜びが造り主への賛美となり、御名を崇める時となり、互いに応答するなら・・その幸いは永遠に残る。

癒されて喜び、時が来て御側に召され安堵する。
涙して慰めを受け、笑わせてくださる主を喜ぶ。

幼子のように、それは幼子のように素直に、主とともに生きる日々。
主をほめるチャンスこそ命の喜び。造られたものの命の喜び・・
日々暮らしの中で、いつでも出会うことができる主の備え。

何度もなんども癒されて、何度もなんども主をほめたたえる。
何度もなんども満たされて、何度もなんども主に感謝する。
何度も何度も取りなされて、何度も何度も御前にひれ伏す。

「弱さの中に完全に働く」そう、それが主の備えられたもの。
そこにあって魂は主と応答する。命はこのために造られた。



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コメント一覧

ムベ
電気屋さんコメント感謝します
私も部屋のサッシ越しに目にすることがあるのですが、視線を感じるとすぐに逃げてしまいます。まるで後ろにも目があるみたいに・・。
鳥ってとても自由に思えるのですが、彼らは常に怯えています。見えない自由は見える羽には無いのですね。

以前、「僕は鳴き声が聞こえないので不利なんだ・・」って言っていたことがありますが、主は、それを補う素早い目をくださっているようで感謝です。

鳥たちは良く見分ける目をもっていて、鳥なんかに目もくれないお百姓さんの足元にまで近付くのに、望遠レンズなんか持っている者は、一目で逃げられてしまうという話をしていました。

息子には「自分のブログを作れば・・」なんて話して居るのですが、今は忙しいのでしょう・・。
でも、私はとても助かっています。
これが、文字だけならこんなに面白くも何ともないブログはないと思いますから・・。アハハ・・
電気屋
以前から鳥の写真は良く撮られていらっしゃいますが
本当に鳥は(特に小鳥は)用心深く、小さく素早く飛び去ってしまって、ほとんど撮らせてくれません。

同じいのちであっても
獣や水の中を行くものと違った聖さを感じてしまうのは何故なんでしょうか。

また写真の事ですみません。
きっと、息を潜められるように撮られたのかなと思ったもので
ちなみに”小鳥たち”は聖書の中では、”異邦の民たち”という感じでよく使われていますが、
遠く離れて後ろを向いている様で、すぐにでも飛び立ちそうでも、
何だか、人の目を気にしている感じにも思える写真ですね。

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