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石ころ

永遠の愛

 アダムとエバは善悪の知識の木の実を取って食べた瞬間から、ありのままに受け入れていた純粋な愛を失ってしまい、お互いが信じられなくなって互いに取り繕い、恥ずかしいものを隠し合うようになった。造り主の神様の愛さえ信じることが出来なくなってしまって、逃げ隠れするようになった。

 それから人はお互いの中に愛を探し求めて、もろい断片的な愛にすがりつこうとした。でも、それらは、探ればとても儚い瞬間的な愛に過ぎなくて、どこかに取り繕いがあり、誤魔化しや、無理があるのは仕方がない。あの時に失ってしまったものなのだから。

 そんなことが続いて、人はいつの間にか愛とはそうしたものだと思いこんでしまった。本当は「永遠に変わることのない愛」というものをすっかり忘れてしまって、今では想像することさえ出来なくなっているのじゃないかと思う。もし、想像しても、それは瞬間瞬間を無理矢理つなぎ合わせた蜃気楼のような愛の姿。

だから、イエス・キリストがわからないのじゃないかな・・・。
神は「愛」だといわれても、人は自分の経験から嘘くさくて信じる気になれないのだ。エバをそそのかしたあの時の蛇(サタン)は、そこまで計算していたのかな・・・。

しかし、それでも、永遠の愛の主をそのまま信じる者は守られている。ハレルヤ!


「永遠に変わらぬ愛をもって、あなたをあわれむ。とあなたを贖う主は仰せられる。」(イザヤ54:8)

「・・・また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。」(エペソ3:17~19)

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