satlさんのメッセージで「長所だけではなく、欠点さえも賜物である。」と教わった。私はそのとき心からアーメンできた。長所だけが賜物であるなら、神は何のために欠点を許されるのかと思うから・・。
すべての人が長所だけの集まりなんてつまらない、サビ抜きのお寿司みたい。もしそうなら、人は何処で許し合うことを学べばよいのか・・・何処で忍耐を学べばよいのか・・。友情さえも確かめにくくなる。神の助けさえも必要とはしなくなるだろう。欠点があるから祈る。失敗があるから赦しを請う。
欠点さえもたまものなら、自分というこのどうしょうもない者ではあっても、恐れる必要はないのではないか。ありのままの欠点を引っさげてそのままにあればよいと思う。ただ、忍耐されていることを覚え感謝の中で・・。そうして互いに労り合い、助け合う愛を育ててゆければ、それこそみこころに叶うことではないかと思う。互いの中に、自分の欠けを補う素晴らしいものを見て、感謝をもって主を喜ぶことが出来る。
そんな事実を語るとき主は証としてくださるだろう。事を為し遂げてくださるのは、いずれにしても主なのだから。そこには妬みもいらだちも必要ない。キリストとひとつということはそういうことなのではないかなぁ・・。
「 あなたがたは霊を一つにしてしっかりと立ち、心を一つにして福音の信仰のために、ともに奮闘しており、
また、どんなことがあっても、反対者たちに驚かされることはないと。それは、彼らにとっては滅びのしるしであり、あなたがたにとっては救いのしるしです。これは神から出たことです。」(ピリピ1:27)
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