石ころ

神に育てられた賢さ(マタイ10章)

 

 いいですか。わたしは狼の中に羊を送り出すようにして、あなたがたを遣わします。ですから、蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい。(マタイ10:16)

 

十二弟子を世に遣わされる時イエスが命じられた言葉。
鳩の素直さはすっと心に入ってくるが、蛇のような賢さには違和感があった。蛇からは、エバを騙す狡猾さしか浮かばなかったから・・。今回は此処で立ち止まって主に教えを乞い祈っていた。

 

蛇は、神である主が造られた野の生き物のうちでほかのどれよりも賢かった。(創世記3:1)

蛇は賢かったからエバはその言葉の罠に嵌って、神が「食べたら死ぬ」と言われた実をアダムと食べてしまった。「神のように賢くしてくれそう」が、エバを誘惑したのである。此処から人は死ぬ者となったのだ。

 

神である【主】は蛇に言われた。「おまえは、このようなことをしたので、どんな家畜よりも、どんな野の生き物よりものろわれる。おまえは腹這いで動き回り、一生、ちりを食べることになる。(創世記3:14)

蛇も自身の賢さによって神の怒りを買うこととなり、その賢さは呪いをもたらせた。

 

世は賢さを求め、人は誰よりも賢くなりたいと生涯を競り合って生きている。親も子に賢さを願って手段を尽くすのである。
でも、その賢さが平和をもたらせることはない。安息をもたらせることもなく、人を癒やすこともない。
その満足や喜びは一瞬で持ち去られる。なぜなら、もっと賢い者が現れて支配を受けることになるからである。

 

 聖霊はみことばを導いてくださる。でも自分で探し求めるべきものまで、教えたりはされない。違和感を与えて導き、忍耐強く待ってくださる。何年かかろうとも・・。

 

あなたは、彼らを賢くしようと、ご自分の良き霊を与え、彼らの口からあなたのマナを絶やさず、彼らが渇いたときには水を与えられました。(ネヘミヤ9:20)

 

このみことばを知った時、戸惑っていた「賢さ」について喜びと平安をたまわった。これこそ求めていた賢さだった。

 

神は私たちを賢くしようと、助け主なる聖霊をうちに住まわせてくださり、神の知恵であるみことばを、何時でも告白して味わうことができるように備えてくださり、私たちが神の聖さと義に渇くとき、いのちの水を飲ませて平安を与えてくださっている。
このように養って、神からの賢さを育ててくださっていた。

 

どうか、あなたがたが、あらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころについての知識に満たされますように。(コロサイ1:9)

 

なぜ、「蛇のように賢く」とイエスは言われたのだろう、聖書にはわからないことが幾らでもある。
しかし、イエスが十字架で死んで墓からよみがえり、天に昇っておくってくださった聖霊は、みことばのすべてに渡り迷うたびに必要な答えに導いて、平安を与えてくださる。

聖書の中に隠されている答えを探し当てた忍耐の先にあるのは、主への信頼と甘いお交わり、みことばの確信と深い感謝、御約束の喜びである。


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