石ころ

パラダイスに入る条件 (ルカ23章)




「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。そのとき、イエスはこう言われた。
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。(ルカ23:33)


イエスさまは犯罪人と一緒に十字架に処せられた。最後まで彼らの王とは認めない、ただの犯罪人としての扱いであった。
イエスさまはご自分を殺す者のために、十字架で取りなして御父に祈ってくださった。イエスさまを殺すものは、十字架であがなわれなければならないすべての人の罪である。

創造主を神と認めない不信仰を「彼らは何もわかっていないのです。」と今も神さまにとり成し続けていてくださる。
それゆえイエスさまを信じる者は赦され、天に迎え入れられて神の子とされるのである。

民衆はそばに立ってながめていた。指導者たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」
兵士たちもイエスをあざけり、そばに寄って来て、酸いぶどう酒を差し出し、
「ユダヤ人の王なら、自分を救え」と言った。
「これはユダヤ人の王」と書いた札もイエスの頭上に掲げてあった。(ルカ23:35~38)

人は神さまに条件を突きつける。その条件を満たしたら「信じよう」と言う。奇跡を見せよ、自然災害を無くせ、戦争を無くせ、世の中を良くせよ、環境を守れ、病気を癒せ・・
イエスさまはそのような人を、命をもって父なる神さまにとりなしてくださる。

十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。
ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。

「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」(ルカ23:39~41)


たとえ死の間際であっても、イエスさまを知ることは救いとなる。この犯罪人は、イエスさまが罪のない救い主であることを知ったのだ。

そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」
イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ23:42~43)

パラダイスに迎えられるための条件は、イエスさまを知ることだけである。彼は十字架刑が当然の報いである罪を犯した者である。彼の信仰による良い行いは一つ、イエスさまに拠り頼んだことである。イエスさまを信頼して願っただけである。

どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。(ルカ10:42)

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