石ころ

ドライブ



 昨日は「ドライブに行こう・・」なんて、主人に付き添って医大へ行ってきた。車で行くようになってずいぶん楽になった。まあ、精神的な緊張が無くなったからだけれど・・。

主人は畑が忙しくてほとんど家にはいない。その様子だけで私には状態が良いことがわかる。ただ、体内に悪性リンパ腫というものがあることは事実なので、定期的な検査は続くけれど・・。

お天気は良く車はスイスイ走り・・、私たちはどうでもよいことをしゃべり続ける。
今回の騒動で、私は改めて主人の存在の大切なことを知った。
若い頃は暮らしのため、子育てのために主人が重要であった。でも、歳を取って気付いたことはその頃には思っても見ないことだった。


 私にとって、主人が掛け替えのない遊び相手であると言うこと・・。いえ、何処に出掛けるわけでもないし、飲み友達でもないし、カラオケに行ったこともないけれど、私は主人相手に毎日言葉によって遊んでいた・・。

ある時は「わかるかな・・わかんねえだろうな」と思いつつ、ペラペラとしゃべり、ある時は主人の問いにちょっと的を外して・・そう、外堀から埋めて行くように話をするとか・・。
まあ、そんなことは若い頃は絶対になかったことだ。性急に説き伏せようとしたり、ただ伝達するために要点だけを伝える・・そんなことが大方だったから・・。

しかし、最近は遊び半分な会話が多いことに気付いた。それは、ほんとうに日常なので、そのような遊び相手がいつも側にいてくれないとどんなに寂しいだろう・・どうすればよいだろうと気付いたのだ。


 伝わってなければテレビに語っても同じではないかと思われるが、私は主人の反応を見ながら楽しんでいるのだ。遊んでいるのだ。それは、最近のちょっと呆けてきた主人であってもちっとも困らない。よけいに面白くなってきたくらいだ。

主人はイチゴミルクの大好きな私のために、毎年イチゴを作ってくれるし、葉っぱ類が好きなので年中作っては、泥を落として持って帰ってくれる。
私のからかい半分な会話にも、のほほんと応じてくれる。ただ、どこまで聞いているのか居ないのか・・よくわからんこともあるけれど、時たま打てば響くような返事が返ってくることもあるから・・けっこう面白いのだ。




 日曜日は地域のお掃除だった。
主人は早くから出て行った。私たちの地域では家族総出に近く、みんなでやるのだ。
次男も帰っていて参加してくれた。「今日は掃除なんだ」と話しただけで、時間になったら準備をして「何をしたら良いのか?」と聞くので、「みんなで地域を奇麗にするだけ、みんなのすることを見ていて、自分に出来る事を手伝う。」「わかった」彼は戸惑う様子もなく軍手をしてさっさと出て行った。

そんな様子に、聞こえないことをもう、そんなに苦にしていないなぁ・・って、その成長が頼もしく、イエス様と彼の職場に感謝した。そう、イエス様の備えの中で、彼は会社においてじっくりと育てられてきたのだろう。辛い所も通ってきたけれど、それも自信になっている。


 同じ事が続くように思える、同じ事の繰り返しのように思える日々の中に、二度と帰ってこない日が収まっているのだろう・・。そこにイエス様のお憐れみを見ることができる。

洗礼の学びが主人は楽しいらしい・・。日曜礼拝も、いつも先に家を出る準備をして待って居る。昔、私に「行くな」と怒鳴ったことなどすっかり忘れているのだろう・・私はしっかり覚えて居て、その変わり様をニヤニヤと眺めている。


夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。(マルコ4:27)

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