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石ころ

食べる

 我が家の冬の風物詩、昨夜干した鰺の開きがぶらりと下がって、僅かな風に揺れている。
安く新鮮な鰺を見つけて大喜びで買ってきた。鰺の開きは出来合は買わないけれど、自家製は大好き。味がまったく違うし干し加減も自由自在。

食べることは女の一生の課題。
新婚旅行から帰ってきて初めて作った目玉焼きが、なぜか何時までも脳裏に張り付いている。危うかった出発点として・・。料理なんてほとんど知らなかった。

やがて、大きなハマチを三枚に下ろして刺身を造ることも覚えた。それは、田舎ゆえに自分でする以外に方法がなかったからだけれど・・。
でも、主人のおばあさんにはかなわない。なにしろ鶏でも兎でも料理してしまって、ある日お膳に並んだと言うから・・。

そうやって戦時中に孫を養ってこられた。
ご自分は雑炊の中の野草ばかりを食べて、目が見えなくなったこともあったと言う・・。
沢山おしゃべりをして、けんかも少しして、可愛い孫の嫁として私の名前をいっぱい呼んでくれた人。


「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。」(ヨハネ6:26)

「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。(ヨハネ6:35)


イエスさまはあらゆるわざを、父なる神様のみこころによって成しておられた。イエスさまのわざに霊を見るなら、そのことで満足し平安を得たはず・・。

しかし、パンの満足だけならそれは肉の満足であり、すぐにまたお腹が空くので、王にしてでも自分たちの身近に置こうとする。
常に満たしてもらうために人の計画の中に取り込もうとする。そうして、イエスさまはひとりで山に退いてしまわれる。

肉はイエスさまを縛ろうとするが、霊の満足にいる者なら「どのようにか、イエスさまに従順したい。」と願うだろう。

「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」(ヨハネ6:29)

生まれつき閉ざされていた霊の目が開かれること、これ以上の奇跡があるだろうか・・ パンはイエスさまご自身、今、その豊かないのちの主が、私たちの内に居て下さることはなんと大きな奇跡だろう!

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